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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年2月24日


昨日、無事に日本に帰国した。いつものことであるが、戻ってすぐに打合せが連続している。時間の流れがあっという間に日本に馴染んでいく。

さて。
先日、スポーツライターの二宮清純氏のインターネットサイト(http://www.ninomiyasports.com/)の対談に呼ばれた。僕が週刊誌で働いていた時に、二宮さんには何度か原稿を頼んだことがある。
二宮さんのサイトはスポンサーがついており、プロフェッショナルな形で存在している。それは一つのやり方である。
僕のサイトは現状では、自分の本、あるいは書いた記事の宣伝が目的で、それに関連して自分のことを多少知ってもらおうかと思っている。
だから、雑誌で書いた記事の内容について、このサイトで触れることはほとんどない。例えば、今行われているトリノ五輪について、僕は里谷多英選手の記事を書いている。そのことは「仕事近況」以外では書いていない。 僕はプロの物書きであるので、インターネットとは距離を置いている。
大切にしなければならないのは、書いた本をお金を払って買ってくれる読者。その次に僕の書いた記事の載っている雑誌を買ってくれる読者である。
僕は出版社から原稿料をもらって、雑誌や本を書いている。きちんとした原稿を書くには、それなりの時間とお金が必要だ。それを出版社が原稿料と経費という形で負担している。興味があるならば本、雑誌を買ってもらうしかない。それが僕の出版社への責任だと思っている。そうした原稿をインターネットだけ無料というのは職業意識に反し、また自分の価値を下げることだと思う(残念なのはそうした意識に薄い、あるいは気づかない“ライターさん”が少なくないことだ)。
書きたいことがあるのならば、あるいはプロになりたいならば、インターネットでうだうだ書かず、出版社に企画を持ち込めばいい。そこで良質の編集者に出会うことができれば、ぼろくそにけなされるだろう。そこで自分のことを冷静に見て、何をすべきか気がつく。気がつかない人間はプロの資格はない。当たり前のことだが、訓練がないところにプロはない。
僕は出版社で働いている時、プランを書いた紙を破られたこともあるし、一から取材をやり直したことも、原稿をほとんど書き換えられたこともある。

今回のバンコクでのハンドボールのアジア選手権について、僕は初めてこのサイトでリアルタイムで長い文章を書いた。
インターネットとは距離を取るというルールを破ったのは、僕が書かなければ誰もこのことを書かないだろうという思いだった。
インターネットサイトを見ていたら、「時事通信」がこの大会の結果を報じていた。時事通信がすごいのは、誰も記者が来ていないのに報道できることである。彼らは超能力で日本に居ながらして、結果を知ったのだろうか。素晴らしい、脱帽である。
日本ハンドボール協会からの資料で原稿を書いているならば、そのことをちゃんと記せばいい。そして、現地に記者も送らず、(スポーツに限らず、いつものことだが)公式発表を引用して自分たちの原稿にして楽に仕事をしています。試合で何が起こったか、実際のところはなーんにも知りません。ハンドボールのことを知っている記者もいないし、どうせ行ったとしても大した記事も書けないので、適当にお茶を濁しています、と。
バンコクの取材については最初、すぐに原稿を予定はなかった。今後、ハンドボールの記事を書く時に絶対に見ておく必要があると思ったので、単行本の“缶詰”がてら軽い気持ちで出かけていた。
そこで何が起こったのかは、この頁を見ている方はおわかりになっただろう。皮肉にも、起こったことを素早く書くというインターネットの特性を僕は初めて生かした、といえるかもしれない。

最終日、大会の閉会式はひどかった。
参加チームが全員集合のはずだった。日本はきちんと全員が並んだが、ほとんどのチームの姿はなかった。タイの貴賓客らしい人が演説をしているのだが、優勝したクウェートは無視して大騒ぎして記念撮影をしていた。
彼らがコートの中でやっていたことを考えれば、閉会式の礼儀を分からせることは、幼稚園児に相対性理論を教えるのと同じぐらい難しいことだろう。 大会運営も無茶苦茶だ。
最後の試合中、日本チームのロッカーが荒らされた。一人の選手のパスポートやクレジットカードの入っていた荷物が盗まれた。
選手たち全員で体育館を探し、スタッフで手分けして盗難届けなどの手配をして、予定通り帰国することができたが、国際試合では考えられない不手際だ。
タイの副会長は「八百長」があったことを認め、「悪い審判だ」と顔をしかめたが何もしなかった。いや、何もできなかった。
審判の買収がはびこり、自分たちの貴賓客は無視され、ロッカールームが荒らされる。 それが今回の大会だ。タイの大会関係者に怒りと誇りはないのだろうかと思ってしまう。

今回、あまりタイにはいい印象がない。 ホテルを出ると、「マッサージ」あるいは「女性のいる店」の客引きに捕まる。夜タクシーに乗ると、金額をふっかける。僕たちの顔はお金にしか見えないようだ。そんな風にした日本人たちも悪いが、それだけではないだろう。
高級デパートに行けば、日本の食材の他、高級ブランドは何でも手に入る。 一方、一般の人々の暮らしは貧しい。この国にパンチョ・ビージャもチェ・ゲバラもいないのか。
“笑顔の国”とは聞こえはいいが、怒ることも必要だろう。ここは独立国ではない。広告が飾られているのは外国の企業ばかり。資本主義の“植民地”だ。
日本に技術がなく、誇りを失えば、こうなる。今そうなりつつあるから、かつて流行ったウィリアム・ギブソンの小説の世界を見ているように暗澹たる思いになるのかもしれない。
もちろん全てのタイ人が誇りがないわけではないだろうが、大会に関しては全く感じなかった。

 

 
バンコクの移動は車を使うと時間が読めない。いつも昼間は渋滞している。


 

 

 

2006年2月21日


連日、ここバンコクの気温は三十度を超えている。しかし、この疲れは暑さによるものではない。
僕は今回、書き下ろしている単行本があるので、基本的にはホテルに籠もって原稿を書き、ハンドボールの試合がある時だけ体育館に行くという生活をしている。

今日の決勝戦、クウェートが韓国を下してアジアチャンピオンとなった。彼らに、アジアチャンピオンという言葉は相応しくなかった。
観客席にいた韓国人はもちろんだが、ハンドボールをそれほど見たことのないであろう地元のタイ人、他のアラブの国らしい人間たちからも、試合が終わった時にブーイングが起こり、クウェートのチームにペットボトルが何本も投げ込まれた。投げ込まれる度対してあちこちから大きな拍手が起こった。
韓国の選手は試合後も興奮が収まらず小競り合いも起こった。彼らが怒るのも当然だ。それだけひどい試合だった。
試合の途中から観客のほとんどが韓国を応援するようになっていた。僕もその中に含まれていた。

韓国は今回、予選リーグの三試合目の同じクウェート戦、準決勝のカタール、そしてこの日決勝のクウェート戦と三試合連続して、審判が「買収」されていた。
今日の試合もひどかったが、準決勝のカタール戦もひどかった。三位までに世界選手権の切符が手に入るため、準決勝は重要だったのだ。
この日の審判は、試合が始まってすぐに、クウェートの選手だけは何歩歩いてもいいルールに決めたようだった。また、カタールがボールを持って韓国ゴールに近づく時には、シュートを打つまで、執拗に韓国のファールをとり続けた。それでも韓国のディフェンスは耐えた。前半二点差まで追いつかれたが、再び突き放し、五点差を保った。五点差があれば、審判に「操作」されても耐えることができる。韓国の選手はそうした試合の戦い方を知っている。
特に落ち着いて対応していたのは、やはりペクだ。
試合をコントロールして、クイックスタートでファールを取られると分かると、ゆっくりと攻撃を組み立てた。何度もファールを取られ自滅していった日本とは違った。そのペクでも相当頭に来たのだろう、一度は彼の投げたボールがゴール横にいた審判の顔に飛んでいったことがあった。彼は、狙ったのだろう。観客席からは、良くやったというどよめきが起こった。審判はペクに駆け寄り注意をした。
八番のポストの選手は足を引きづりながらも身体を張った。戦っていたのは選手だけではない。選手が倒れると韓国の監督はドクターと共にコートの中に急いで駆け寄った。理不尽なファールに両手を広げて、一番大きな声で、抗議した。
前半終了直前、韓国の関係者が大きな声で審判を非難するような声を挙げると、審判は男を連れ出せと、タイの副会長に指示した。韓国はチーム全体で勝とうとしていた。それが日本と違っていた。
(一つ付け加えると、日本がカタールと対戦した時、笛はまともだった。それは協会の市原氏たちが尽力した成果である。まともな笛の時に勝ちきれないというのが、今の日本の弱さである)。

ペクの他に二十二番の選手がいい場所で得点を決めた。審判は執拗にファールをとり続けた。何度も一人少なくなったが、ペクはチームを落ち着かせた。彼は、敵ながら素晴らしい選手だった。そして韓国は勝った。彼らは、いいチームになっていった。

決勝も同じような試合だ。クウェートは悪いチームではない。巨体の十八番のポストや十五番の選手は面白いものを持っている。しかし、審判を買収して、自らのスポーツを破壊した。本来ならば優勝どころか、永久に追放されるべき国だ。彼らはハンドボールという競技の価値を貶めている。
決勝で敗れた韓国は誇りを見せた。今大会のベストチームは韓国であり、MVPはペクだった(実際のMVPは宮崎選手が獲得)。 ただ、こうした試合は見ていて楽しくない。本当に疲れる。ずしりと身体にこたえるのだ。

北京オリンピック予選はもう来年に迫っている。
普通にやってもクウェートは強い。そして韓国は今回の大会でペクを中心にいいチームへまとまった。
審判が買収されないという前提でも、この二チームは確実に日本の前に立ちふさがる。オリンピックのアジア枠はたった一つ。日本代表は両方に勝たなければならない。 日本代表の中川、田場、豊田、宮崎、キーパーの坪根たちは、世界の舞台に出られる力を持っている。彼らには五輪の舞台が似合う。
ただ、今大会の戦いぶりを見るとかなり難しいと言わざるをえない。
一つ光明を見つけるならば、最後の試合、五位決定戦のバーレーン戦で日本の戦いぶりは良かった。特に羽賀太一。所属するホンダが規模縮小という方針となっている。後輩にプレーの場を譲ろうかと引退に揺れながらも、大会直前、代表に復帰した。彼には今の日本に足りない、身体の大きさがあり、アジアと戦う知恵と経験を持っている。
今回はっきりしたのは、日本はスピードのある選手は多いが小型であり、身体で押し込まれると弱い。
昨年の世界選手権に出場した時、百九十センチを超える、岩本(大崎電気)や山口(湧永)がいた。彼らが代表に呼ばれていないのは、もう三十代に入っており、スピードが衰えていると考えられているのだろう。
しかし二人ともスピードで勝負する選手ではない。日本リーグでは問題なくやっている。瞬発力はともかく、体力はトレーニングでカバーできる。
速さのある選手は他に沢山いる。チームとはバランスなのだ。彼らはサイズと共に経験がある。彼らがいることで、田場は攻撃に集中でき、中川がバランスを取り、宮崎や豊田、下川のようなスピードのある選手はより輝くだろう。
もはや世代交代を考えている暇はない。あと、一年間しか時間がないのだ。
とにかく出場権を得ることだ。そしてオリンピックの時、彼らを超える選手がいれば代えればいい。彼らは、自分の力が落ちていると認めれば、後輩に道を譲るだろう。そんなケチな男たちではない。

もちろんこれは僕の意見だ。実際に決めるのは代表監督である。
若手に切り替えるのも選択の一つだろう。今回は若手への切り替えの過程で結果が残せなかった。それはどう評価するのか。進化に伴う痛みなのか、あるいは単なる失敗なのか。そしてこの流れを北京五輪の予選にさらに進めて結果が出なかった場合、その責任は誰にあるのか。それを明らかにすべきだ。

とにかく勝てるチームを作って北京に行かなければならない。そうしなければハンドボールの火は完全に消えてしまうだろう。

 

 
バンコクの風景。明日の夜、こちらを出て東京に向かう。寒さをすっかり忘れている。


 

 

 

2006年2月17日


僕が長く見ていたサッカーとハンドボールが最も違うのはシュートの精度である。
手を使うハンドボールは当然、狙った場所に飛ぶことが多い。プロでさえもゴールの枠外にボールが飛ぶサッカーとは大きく違う。
ハンドボールでは、三十分ハーフで一試合平均して、一チーム二十五点から三十点の得点が入る。シュートを打てば、得点が入る可能性はかなり高い。相手チームのシュートの確率を落とし、自分たちのチームの打つシュートの確率を上げること。試合で勝つということを数値化するならば、そういうことになる。
ただ、試合には流れというものがある。
試合の中で取り返しのつかない、重要な何分間がある。そこでのシュートは外してはならない。
前半の半ば、日本はカタールと競った試合を進めていた。何本かのシュートをイージーミスで外し、カタールはそれを決めて、点差は一気に五点に開いた。何度か点差は縮まったが、最終的には一度も追いつくことなく、四点差で敗れた。カタールに敗れたことで、グループ三位以下となり、準決勝進出の可能性が消え、三位以内に与えられる世界選手権の切符を逃した。
得点が入らなかったことの直接の原因は、田場、中川、豊田たち、僕が中心として期待していた選手が、試合のターニングポイントであった時間帯に得点を決められなかったことだ。彼らはまだ本当の意味で世界水準の選手ではない。そうした選手ならば、アジアで突出したプレーを見せることができただろう。
もちろん、本当の問題がその奥にある。
彼らには日本代表に相応しくないお粗末なミスが目立った。シュートを絶対決めなければならないという焦りが逆の結果となった。
どうして彼らがそこまで焦ったのか。それは守備に理由がある。相手のシュートの確率を全く下げることができず、自分たちは失敗できないと思ってしまったことがある。
選手個人のスキルを上げるには、欧州のような厳しいリーグに移籍することが、有効だろう。しかし、守備に関してはスキルでどうなる問題ではない。

そもそも今回の代表は現在のベストメンバーだったのか、疑問が残る。 アジアの予選はイラン戦であった八百長のように、世界の舞台で戦うのよりも地味で辛いものになっている。その場で戦うには、今回の代表は若手が多すぎた。
個人名を出して言いたくはないが、例えば大崎の前田などは、普段のリーグ戦でほとんど試合に出ていない。代表というのは当然リーグで活躍した選手が選ばれるべきで、そこを選手たちは目標にするものである。試合に出ていない選手が代表に選ばれることは、彼自身にとっても重圧となるだろう。逆にリーグで結果を出していながら呼ばれなかった選手たちは、面白くないはずだ。前田が大崎でレギュラーを掴んで代表に選ばれたとしたら、代表に対する誇りや価値が変わってくる。
もちろん、過去に実績があり、その経験を買うという選手もいるだろう。しかし、それに該当する選手は今回いない。
何度も繰り返すが、マイナースポーツにとってオリンピックに出られるかどうかは大きい。それを信じて人生を賭けている選手もいる。来年の世界選手権に出ることは、北京に繋がる道となったはずだ。
今回の大会は将来を見据えた代表選考であったのか。しかし、将来を見据えた強化をしている暇も余裕もない。北京五輪に出ないとハンドボール界はさらに厳しい状況に追い込まれることは誰もが分かっている。

残念ながら、現在のハンドボール界には代表選考、強化方式について、きちんとした批判、検証ができるメディアが存在しない。
現在の日本代表監督は日本体育大学の監督でもある松井氏である。彼は、温厚で物静かではあるが時に強い意志を示す。
礼儀正しく、公平であり、彼のことを嫌う人はあまりいないだろう。ただし、代 表監督という職は批判が常に伴う。
今日の試合が終わった後、彼は「今日の試合の責任は全部自分にあります。選手を責めないでください」と言った。
現在、フランスの田場はもちろんプロであり、そして大崎電気などは契約社員の形態で、実質ハンドボールに専任している選手もいる。松井監督の能力以前に、そうしたハンドボールを生活の糧にしている選手を束ねて、日本を代表するチームの監督が、大学の監督でいいのだろうか。
これはサッカーの日本代表の監督がジーコではなく、国士舘大学の監督が務め、野球のWBCの日本代表が王監督ではなく、駒澤大学の監督が務めるような異常事態である。実業団リーグがありながら、大学の監督が代表監督となる、そんなことをサポーターやメディアは許すだろうか。この点をハンドボールの関係者はどこまで認識しているのだろう。
松井監督は今回の試合の「責任」を認めた。では、この責任をどうやって取るのか。その松井監督を任命した責任は誰にあるのか。
それを検証しないと、次の道はない。

今のハンドボール界には才能のある選手が沢山いる。田場に続き、欧州のクラブに移籍していく選手が出てくるだろう。そうした選手が持ち帰る経験は、必ず代表強化に繋がる。彼らはプロとして、リスクを冒して世界に飛び出ていくだろう。しかし、代表の強化を彼らの自主性、リスクに頼り切るというのはあまりに無策で無責任だ。
ハンドボール界に、自浄作用があるかどうか。それは北京に向けての強化方法ではっきりとする。

 

 
試合前、日本代表の集合写真。


 

 

 

2006年2月15日


日本代表は中国と対戦。初勝利を挙げた。二つの国には明らかな力の差があった。笛を吹いた韓国の審判はまともだった。
しかし−−。
日本の試合の前に、韓国がクウェートと試合をしていた。こちらは前半から韓国に不利な笛の連続だった。先日の日本戦もそうなのだが、こうした試合を見ているとハンドボールのルールとは何なのか分からなくなる。その中で韓国の選手、特に日本の大同特殊鋼にいるペクは冷静に対応していた。
彼が冷静にできるのは、そこに「八百長」があることを知っている面もある。
韓国は以前、中東の国の得点操作に手を貸して、世界選手権予選で日本をけ落としたことがある。ペクはその中心選手だった。
そのペクに、日本の企業が高額の給料を支払っている。日本の実業団リーグは縮小傾向にあり、日本人プレーヤーのプレーする場所は減っている。
その中で、ペクは日本でプレーし、良いコンディションを保っている。ペクだけでない。大同特殊鋼の監督は韓国人であり、彼自身が韓国人選手の代理人を務めている。
日本のハンドボールが長期低迷しているのは、マイナースポーツにとっての命綱とも言える、オリンピックに出場できていないことも理由の一つだ。日本の前に常に韓国が立ちふさがっている。韓国代表チームは決して弱くない。韓国国内リーグは盛り上がっているとはいえない。代表を支えているのは、欧州、日本で経験を積んだ選手たちだ。
ペクたちは、いわば日本のハンドボール界にとって、“獅子身中の虫”である。それを容認しているのは、日本のハンドボール界は人がいいのか、あるいは…。 アジアのハンドボールは、スポーツではない。そのことをこの大会で僕はしみじみと感じている。

 

日本のサポーターが、思いを書き込んだ応援旗と、その旗を「盗難」されないように守る前田選手。


 

 

 

2006年2月12日


観客席で僕は怒りで震えていた。 ここまでひどい試合を目の当たりにしたのは初めてだった。
昨日からバンコクに来ている。今日から、この街でハンドボールのアジア選手権が行われる。この大会で三位にまで入れば、来年の世界選手権の切符を手にすることができる。日本代表の初戦の相手はイランだった。イランは最近力をつけてきているとはいうが、日本にとって格下である。楽には勝たせてくれないだろうが、力の差はあると見ていた。
試合の立ち上がり、日本代表の選手は明らかに硬くなっていた。
三点先取されたが、次第に宮崎大輔たちが中心となって、力を発揮していった。前半は日本が一点リードして終わった。最終的には二点差程度で勝つことができるだろうという試合の流れだった。
ところが、後半に入って、審判の笛が明らかに変わった。
まず狙われたのが、田場選手だった。彼はチームが勝つためには自分の持ち味である得点を捨てることもできる。前半の彼はアグレッシブという言葉が相応しい。守備にも力を割いて、チームを鼓舞していた。
審判は田場を退場させた。ハンドボールの場合、二分間退場というルールがある。次々と日本代表は、一人復帰かすると、待ちかまえていたように一人が退場させられた。後半のほとんどを日本は一人少ない人数で試合をすることになった。
それでも日本代表の選手たちは試合を捨てなかった。特に宮崎大輔は、怒りを力に変えて、シュートを打って得点を重ねた。
しかし、点差が接近する度に、理不尽なファールを取られた。
八百長には一つの基本がある。公式記録に残る痕跡を減らすためには、ファールの数を揃えるということだ。審判は帳尻合わせのために試合終了間際に、次々とイランのファールをとったが、それは試合の流れに関係ないところだった。
それでもファールの数は明らかに違っていた。この試合では、八百長の基本を崩さないとならないほど、日本の選手は踏ん張った。
踏ん張れば踏ん張るほど、審判はファールを取るとに精を出した。そして、日本は敗れた。 全く、無茶苦茶な試合である。 これまでもこうした八百長があることを僕は聞いていた。そうしたひどい審判の操作で、オリンピックや世界選手権の出場権を逃したこともあった。目の前でこれを見たのは初めてのことだ。
これを許しているIHF(国際ハンドボール連盟)、選手たちを守ることのできない日本ハンドボール協会、全てに怒りを感じる。
こうした大切な試合に記者を派遣していない通信社、新聞社も同罪である。運動部会にハンドボール記者クラブのようなものがあるというが、彼らはどこに行ったのだろう。こんな大切な試合に一人も新聞記者が来ていない。この状況を伝えようとしないのだ。
先週、サッカーの日本代表の宮崎合宿にいった。練習が終わった後、ジーコがぽつりといたが、記者たちは遠巻きにしていた。通訳が現れると蟻がたかるように集まってきた。彼らはみなと同じ話を聞いて、同じ記事を書いている。そんなに人数が必要なのか。その中の一人でもいいからタイに来ればいい。
日本代表の選手たちは最後まで試合を諦めなかった。僕は彼らを同じ日本人として誇りに思った。

 

日本代表対イランの試合前。


 

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