さて、先月の沖縄行きについてである。
田場裕也自身が自分のサイト等でこれからの身の振り方を説明するまで、沖縄で話したことを差し控えていた。
六月末に、彼がフランスから帰国した。彼とは東京で二度会って話をしている。フランスのウサムニームとの契約は今季で切れる。来季からどこでプレーするのかという話になった。
スイスのクラブから好条件で誘われているのだと言ったが、彼自身がどこでプレーしたいのかということになると、奥歯に物が挟まったような話しぶりだった。
ハンドボールのことよりも、しきりと彼は「沖縄のためになることをしたい」と言った。
ハンドボール日本代表はソウル五輪以降、オリンピック出場を逃している。とにかくオリンピックに出なければならない。それが今のハンドボール界の最大目標である。
ハンドボール選手として今できることは、オリンピック予選でいいコンディションで臨むことである。沖縄でクラブを作ることには反対ではない。しかし、まずはオリンピック出場権を勝ち取ることである。そうでないと沖縄に貢献どころか、日本のハンドボール自体が消滅してしまうと僕は思っている。
結局、彼とは話が噛み合わないままだった。
七月二十四日のハンドボールスクールが開催される一週間ほど前、彼と電話で話をした。
「会って話したいことがある」
電話で話せない内容だというので、取材を兼ねて、沖縄の浦添市を訪れることにした。
ハンドボールスクールが終わった後、彼と話をすることができた。
彼の決意は、こうだ。
スイスのクラブからのオファーを断った。欧州からは引き揚げて、沖縄にハンドボールのクラブを設立する。まずは県リーグから始めて、なるべく早く日本リーグに加盟できるようにしたい。現時点でクラブの準備は全く進んでおらず、これから始めることになる。
実質的な引退である。
来年、オリンピック予選が行われる。この時期にどうしてクラブを立ち上げなければならないのか、何度も彼に尋ねたが僕は理解できなかった。
国外でプレーすることは、精神的にも疲弊する。いわれのない差別もあっただろう。しかし、今はまだ戦わなければならない時期である。オリンピックに出たい。僕がハンドボールを書くようになったのも、彼の一途な思いに感化されたからだ。
僕は、彼のマネージメントをやっているK氏と共に、思いとどまるように説得したが、「今やらないと駄目だという気がするんです」と彼は頑なだった。
しばしば彼の行動には理屈がない。それが彼のコートの中のプレーの特徴であり、強さでもあった。しかし、コートの外では事情が変わってくる。
数時間話し合ったが、会話は平行線のままだった。
僕は最後にこう言った。
「もし十歳若い田場裕也がいたとしたら、今回の行動は、オリンピック予選というもっとも大切な戦いを前にして、尻尾を巻いて逃げたと見るだろうね」
田場は「それでもいいんです」と答えた。
「僕は沖縄に帰ってきても、オリンピックに出られないとは思ってません」
「所属クラブが沖縄県リーグであっても?」
「ええ。フランスで四年間やってきたんです。その“貯金”が一年ぐらいは持ちますよ」
「イビツァ(リマニッチ日本代表監督)は外国人だから、出身大学とか、過去の実績とか考慮しないよ。現時点で力のあるものを使うだろう」
「それはわかっています。選ばれなかったら仕方がありません」
かつて田場は、スペイン留学から戻り、大崎電気でプレーするようになった宮崎大輔にこう言った。
「大輔、日本でプレーして力が落ちたな」
自分だけ力が落ちないと考えるのは奢りである。田場はこの言葉を自分で受け止めることになるだろう。
宮崎のような華のある選手も出てきたが、依然として日本のハンドボール界は瀕死の状態にある。
実業団チームは撤退、もしくは縮小の方向に進んでいる。それも無理はない。リーグに参加しても、利益を生み出す形になっていない。
たとえ田場が作るクラブが動き出して、日本リーグに参加するとする。その場合、毎年一億円以上の赤字がでるだろう。現段階では、競技に理解のある企業が社員の福利厚生の一環、もしくは、企業イメージとしてボランティアのようにやっているのだ。
現在、ハンドボールリーグではテレビ放映はなく、企業がスポンサーするメリットはほぼゼロである
田場の作るクラブを支えるとすれば沖縄の企業だろう。しかし、沖縄県の平均所得は全国最低の二百八十万円。沖縄で年間一億円以上の赤字を受け入れてくれる企業が存在するのだろうか。
これまで田場のために動いていた、K氏は現時点でのクラブ立ち上げに反対であり、この件については協力できないと言った。この“なかば思いつき”による引退でK氏が田場のために進めてきたプロジェクトのほとんどは頓挫することになる。
今後は、彼の愛する沖縄の友人たちに支えてもらうことになるのだろう。
「沖縄に貢献しなければならない」「できる限り協力する」「沖縄のためにがんばろう」
綺麗事は耳に心地よく響く。そして、口に出すことは簡単である。
実際に汗をかき、骨身を惜しまず動いてくれるかというのは別の話である。そもそも今、見切り発車のような形で、クラブチームを作ることが本当に沖縄のためになるのかどうか、僕は疑問に思っている。
“欧州でプレーするハンドボールプレーヤー”という肩書きがとれた後、どこまで人が集まってくれるのか。これまでの彼がどのように人とつきあってきたのかが反映されるだろう。
ハンド界は瀕死という言葉を使ったが、未来への萌芽はある。
宮崎や末松、猪妻の学年が、ハンド界の“ゴールデンエイジ”であったが、今年大学を卒業した、富田、門山、東長濱たちの代はそれを越える潜在力を持っている。彼らは先日世界学生でそれなりの結果を残してきた。いずれ彼らの何人かは世界に羽ばたいていくだろう。これから選手として一番いい時期を迎える宮崎や豊田、そして若い富田たちを中心に、経験ある中川たちが支える日本代表を、僕はこれからも取材し、日本人の一人として応援していきたい。
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