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疾走ペルー 最近の仕事っぷり
   
     
  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2001年6月28日


マドリッド、アスンション、サンパウロ等を回り三週間ぶりに日本に戻りました。
今回の主たる目的は、パラグアイ・アスンションのサッカークラブ、セロ・ポル テーニョに所属する廣山選手の取材でした。記事は今週火曜日発売の「週刊プレイボーイ」(集英社 No.28/6月26日発売号)及 び「スポーツナビ」にて掲載中。
月曜日にアスンションを出て、サンパウロで飛行機を乗り換えマドリッド。マド リッドで一泊し、パリ経由で成田へ。今週、ほとんど飛行機の中にいた気がします。
さらにマドリッド発の飛行機が遅れてしまったため、パリのシャルル・ド・ゴール空港 を走って乗り継ぎ。荷物は間に合わず、明日到着になってしまいました。ちなみに便は、エール・フランスです。
 

 

 

2001年6月24日


相性というのは、機械にもあるのか。
カシオのFIVAが動かなくなってしまった。3月にペルーに行った時は、ウィンドウズが立ち上がらなくなった。今回は、床に落としてしまったから、自分のせいである。しばらくは動いていたのだが、ハードディスクの音がおかしかった。まあ、なんとかなるだろうと思っていたら……。
今回のアスンション入りは、セロ・ポルテーニョというクラブに所属する、廣山選手に話を聞くことが目的だった。今年3月、リマへ遠征に来た時に話を聞いて以来だ。先週土曜日の試合、途中出場で1アシスト。勝負勘、運がある子だと思う。キリンカップで、初めて代表に選ばれたが、恐らく結果を出してくるだろう。
さて、アスンションで仕事が一段落したので、ビザを取り三年ぶりにサンパウロに向かった。
知り合いに迎えに来てもらい、ホテルで電源を入れたら動かない。もう一台のパソコン、シンクパットはアスンションに置いてきた。サンパウロではメールを送受信することは諦めた。
さて、三年ぶりのサンパウロ。日本と違い、大きな変化はない。
久しぶりに会った友人たちが暖かく迎えてくれた。2泊とも朝まで酒を飲むことになった。今朝はほとんど眠らずに空港まで送ってもらい、アスンションに到着した。
明日は、廣山選手のセロ・ポルテーニョとルケーニョの決勝第二戦。
翌日にサンパウロを経由して、再びマドリッドだ。
 

 

 

2001年6月14日


「ブラジルに行くのか?」
マドリッドの空港で、手荷物検査の男が、話しかける。
僕が曖昧に頷くと、
「ブラジル、ブラジル、女の子が可愛くて、いい国だ」
笑顔で目配せした。
そう、ブラジルという名詞には人をうきうきとさせる何かがある。
セイコーの大きな時計が高い天井からぶら下がった、だだっぴろい出発ロビーで時間を潰して、サンパウロ行きのバリグ航空に乗り込む。
「ボア・ノイチ」
スチュワーデスが微笑んだ。どのスチュワーデスもポルトガル語。
ポルトガル語はスペイン語と文法は似ているが、印象は全く違う。非常に大ざっぱ、かつ独断で言わせてもらえば、スペイン語はシンコペーションする16ビート、ポルトガル語は4拍子。いや、ポルトガル語というよりもブラジルのポルトガル語だ。ポルトガルのポルトガル語は、フランス語の響きに近く、変拍子に感じるのだから。
4拍子の日本語を母国語とする僕は、スペイン語を話す時は、少々構えて、勢いをつけて話さなくてはならない。ブラジル・ポルトガル語だとそれがない。
語尾に「ね」をつけたり、「チ」という音を多用したりするせいか、優しい音の響きに感じる。
本心を言えば、どうも欧州が好きになれない。スペイン人のことを親切だという人もいるが、ブラジルやペルー、コロンビアを知る僕にとってはそうでもない。友達になってしまえば、割合に親切だが、そうでなければ大概、傲慢だ。
また、僕はスペインの文化遺産というものを楽しめない。
例えば、トレドの教会。確かに美しい。金塊をふんだんに使った荘厳な建物。
しかし、あの金塊はどこから持ってきたのか。キリスト教の名のもと、ペルーのインカ帝国から奪ってきたものだ。インカ帝国の持つ金の細工品を全て溶かして金塊にして、イベリア半島に運び込んだ。
当時のキリスト教なんていうのは、盗賊の親玉みたいなもので、アメリカ大陸からの搾取を首謀、扇動した。長い年月を掛けて築き上げられた文化を殲滅させるほどのひどい略奪で作られたものが、今や観光資源としてスペインの経済を支えている。
そんな好きになれないスペインの空港で、飛行機に乗った瞬間、ブラジルの雰囲気を思い出した。嬉しく感じないわけはない。そう、もう3年もブラジルに行っていない。久しぶりのブラジルだ。
しかし。
僕は今回ブラジルに行くわけではない。サンパウロを経由して、パラグアイのアスンションに向かうのだ。
がらがらに空いた機内で、ブラジルを想って目を閉じた。

 

 

 

2001年6月12日


現在、スペイン北西部、ガリシア地方のラ・コルーニャに滞在中。
久しぶりにボールを蹴ったところ、三週間前に痛めた右腿痛が再発・・・。

 

 

 

2001年6月8日


今日8日から三週間ほど日本を空けます。
まずはスペイン、そこから南米に足を伸ばします。帰国は今月28日になります。
3月、4月のペルーでパソコンが壊れてしまい非常に困りました。
今回は、カシオのFIVAと、古いシンクパッドを持っていくことにします。

 

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