「ブラジルに行くのか?」
マドリッドの空港で、手荷物検査の男が、話しかける。
僕が曖昧に頷くと、
「ブラジル、ブラジル、女の子が可愛くて、いい国だ」
笑顔で目配せした。
そう、ブラジルという名詞には人をうきうきとさせる何かがある。
セイコーの大きな時計が高い天井からぶら下がった、だだっぴろい出発ロビーで時間を潰して、サンパウロ行きのバリグ航空に乗り込む。
「ボア・ノイチ」
スチュワーデスが微笑んだ。どのスチュワーデスもポルトガル語。
ポルトガル語はスペイン語と文法は似ているが、印象は全く違う。非常に大ざっぱ、かつ独断で言わせてもらえば、スペイン語はシンコペーションする16ビート、ポルトガル語は4拍子。いや、ポルトガル語というよりもブラジルのポルトガル語だ。ポルトガルのポルトガル語は、フランス語の響きに近く、変拍子に感じるのだから。
4拍子の日本語を母国語とする僕は、スペイン語を話す時は、少々構えて、勢いをつけて話さなくてはならない。ブラジル・ポルトガル語だとそれがない。
語尾に「ね」をつけたり、「チ」という音を多用したりするせいか、優しい音の響きに感じる。
本心を言えば、どうも欧州が好きになれない。スペイン人のことを親切だという人もいるが、ブラジルやペルー、コロンビアを知る僕にとってはそうでもない。友達になってしまえば、割合に親切だが、そうでなければ大概、傲慢だ。
また、僕はスペインの文化遺産というものを楽しめない。
例えば、トレドの教会。確かに美しい。金塊をふんだんに使った荘厳な建物。
しかし、あの金塊はどこから持ってきたのか。キリスト教の名のもと、ペルーのインカ帝国から奪ってきたものだ。インカ帝国の持つ金の細工品を全て溶かして金塊にして、イベリア半島に運び込んだ。
当時のキリスト教なんていうのは、盗賊の親玉みたいなもので、アメリカ大陸からの搾取を首謀、扇動した。長い年月を掛けて築き上げられた文化を殲滅させるほどのひどい略奪で作られたものが、今や観光資源としてスペインの経済を支えている。
そんな好きになれないスペインの空港で、飛行機に乗った瞬間、ブラジルの雰囲気を思い出した。嬉しく感じないわけはない。そう、もう3年もブラジルに行っていない。久しぶりのブラジルだ。
しかし。
僕は今回ブラジルに行くわけではない。サンパウロを経由して、パラグアイのアスンションに向かうのだ。
がらがらに空いた機内で、ブラジルを想って目を閉じた。
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