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疾走ペルー 最近の仕事っぷり
   
     
  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2001年12月25日


三連休の間、部屋の模様替えをしていた。模様替えと言っても、好みの問題ではなく必然からのせざるを得なかったというのが正確だ。
部屋が、資料や本が溢れてしまっていたのだ。そもそも今住んでいるところは、出版社に務めていた時に借りたので、仕事場に使うつもりではなかった。退社して、一年はほとんど仕事をしていなかったので問題はなかったが、今年本格的に働き始めると、資料は増える一方。楽器の数を増やしたのも失敗だった。キューバの本を書いている時に、昔読んだ本を探すために、半日も費やしたことがあった。
昼間のワイドショーの「お部屋改造」のようにカラーボックスをインターネットで買い、友人の絵描きの下田と一緒に東急ハンズに行き、板を買い机を作った。
部屋の様子はずいぶんと変わった。来年早々から忙しくなる。二月後半からは、この檜の板でできた机に釘付けになる日々が続くだろう。

 

 

 

2001年12月16日


キューバの連載をしている『NAVI』から「2001年の○と×」の原稿を頼まれた。「○と×」は『NAVI』の巻末で編集部員が、身の回りの良かったことと悪かったことを編集後記として書いているものだ。
2001年も残すところ一ヶ月を切った。色んな事が起こった一年だと思っている。12月は過去を振り返るのにふさわしい月だと思う。
四年前、ブラジルで正月を迎えた時のことを、思い出す。以前ここで書いたボンフィンテープをサルバドールで巻いてもらった丁度後のこと。
一年間の旅の最中で、半年も日本から離れていた。ブラジルの街は、クリスマス後から街を歩く人の数が、少なくなった。人々はクリスマスから新年を家族で過ごすのだ。
大晦日、レシフェという街のバールで一人食事をした。
「今日は早じまいだ」と店の従業員の明るい声が聞こえた。一人旅の僕には一緒に新年を祝う人はいない。バールを出ると、もうほとんどの店のシャッターが降りていた。仕方がなく宿に戻った。宿には他に宿泊客はおらずがらんとしていた。夜中に日付が変わり、花火が上がった音をベッドの中で聞いた。
翌朝、街に出たが、店はどこも開いていなかった。手持ちぶさたで宿に帰り、宿のロビーのテレビを見ることにした。画面の人々に出てくる人々はいつもと同じ格好。振り袖の姿の女性が出てくる日本の番組が懐かしく思い出された。
大晦日、正月を冷たい空気に包まれながら、過ぎゆく年と来る年に思いをはせることは悪くはない、と部屋に差し込む強い日差しを見ながら思った。南半球の正月は夏で暑い。過去と未来について静かに思いを巡らす感じはしないのだ。やはり、新年は、冷たい空気に包まれて迎えるものだと思った。
さて、今年の○と×。『NAVI』ではオートバイの大型免許を取得したことを書いた。○はこの他にも沢山ある。このウェッブを復活させたこと。単行本を出せたこと。そして、様々な人との出会い。一年前とずいぶん環境が変わった。
×はというと、と考えるが思いつかない。失敗もあったし、悪かったこともあったと思う。しかし、あまり記憶にないのだ。必死で走り抜けた一年間−−フリーとして活動を始めた最初の一年間だった。

 

 

 

2001年12月1日


今月20日発売の単行本『CUBA ユーウツな楽園』の表紙をようやく見ることができた。
今回の単行本は文章と写真が半分づつ。写真は、これまで何度も書いてきたように写真家の横木安良夫氏
デザインは、原耕一氏。原さんは、日本の数々の有名写真家から信頼の厚い、トップアートディレクターの一人である。広尾にある原さんの事務所に、何度も通うことになった。
文章を書き上げ、原さんが選んだ写真を見た。早く表紙を見たいと思うのは当たり前である。しかし、そうすぐには上がらなかった。
「表紙のため、わざわざ文字を作っているんだよ」と原さんの事務所のマックの大きな画面には幽霊のような「ウ」の字が数日張り付いたままになっていた。
待つこと数日後−−。
何とも不思議で魅力的な表紙になった。原さんが、わざわざ作った表紙の文字に是非注目を。
二十才ほど年上の横木さんと原さん。担当編集は、僕より少し年上であるアミューズブックス編集長の内藤さん。才能ある年上の人々に囲まれて、なんとか本をまとめることができた。
恵まれている。感謝の気分で、僕は二十一世紀最初の年の最後の月に入った。

 


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