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疾走ペルー 最近の仕事っぷり
   
     
  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2002年1月30日


サンパウロを経由して、パラグアイの首都アスンションに到着。冬のスペインから真夏の南米大陸に降り立った。
とにかく暑い。気温は恐らく四十度前後、湿度もある。
一昨日、ルケという街に行って、銀のワンパを買ってきた。パラグアイでは、テレレというお茶を良く飲む。ワンパの中にお茶を入れ、テルモと呼ばれるポットから冷たい水を注ぎ込む。ワンパに差し込んだボンビージャという銀でできたストローで飲むのだ。パラグアイでは、人が集まればワンパを次々と手渡し回しのみする。
パラグアイ人は、どこに行くにもテルモとワンパを持って出かける。もちろん仕事中も飲む。バスの運転手は、車が止まった時にストローをくわえてテレレを飲むのだ。
ワンパは、牛の角や木で出来ている。外に模様として、サッカーチームのマークや名前を彫り込んでいるものがある。以前から僕も自分のワンパが欲しいと前から思っていたのだ。
今回買いに行ったアスンションのルケ地区は、昨年引退した武田修宏が所属したスポルティング・ルケーニョというサッカークラブがある。街のあちこちはルケーニョの色、青と黄色に塗られている。ルケの一角には金や銀細工を扱った店が軒を連ねていた。その中の一軒で、僕は牛の角に銀を張り込んだワンパを買い、「LIBERDADE.COM」と彫ってもらった。
牛の角独特の匂いをとるため、一日水を中にいれ放置し、その後もう一日洗剤を入れて置いた。そして、ようやく今日飲むことができるようになった。
みんなで昼食をとった後、銀のワンパを持ち出した。お茶を入れ、水を注いだ。もちろん最初に飲むのは僕だ。
銀のストローを加えて、吸い込んだ。
美味しい。
パラグアイ式に僕が水を入れ、次々と周りの友人にお茶を振る舞った。パラグアイの夏は、冷たいテレレが良く合う。

 

 

 

2002年1月23日


結局、航空券は、マドリッドの空港で、マドリッド〜サンパウロ〜アスンション〜サンパウロと変更することができた。
夜遅くまで時間を潰し、サンパウロ行きの飛行機に乗り込んむと、あまり混んでいなかった。しかし、窓際の二人がけ、僕の隣の席には、太ったブラジル人が座っていた。わざわざ狭いところに座ることもあるまいと、僕は空いている席に移動した。
しばらく人が入ってきたが幸運にも僕が閉めていた三人がけの座席に座る客はいなかった。サンパウロまで横になって眠れそうだと思ったとき、混血の男が乗ってきた。たるんだジーンズに皮のジャンパーにどす黒い顔色をしていた。男は僕にチケットを見せて、通路側に座っていた僕の隣の隣、窓際に座った。
男は、チリのバルパライソから来ているという。分かりにくいスペイン語で、チケットを見せて、到着時間を尋ねてきた。飛行機の上から吊してある画面には、ポルトガル語、英語、スペイン語で到着時間が記してあるのだが、彼は飛行機に乗ったことがあまりないのか理解できないようだっだ。
「明日の朝七時すぎだと思うよ」
男は、労働ビザを取りにチリに戻るといった。しばらくすると再び到着時間を僕に尋ねた。あまりに何度も尋ねるので、僕がテレビの画面を指さして到着時間を教えると、「俺は本当に何もしらないな」と自嘲気味に呟いた。
男は、実はと声を潜めた。
男は、今日マドリッドに着いたのだが、入国の書類が足りず強制送還されたという。
「恋人は無事に入国できたんだが、俺は働きにくるために必要な推薦状がなかった」
恋人は二十九日の便でチリに戻るという。
「一人、一人で残してきたんだ。それしか方法がなくてね。最悪だよ」
男は食事にウィスキーを頼んだ。ウィスキーを口に含み、盛んに僕に話しかけてきた。誰かと話したくて仕方がない様子だった。チリのサッカー、イバン・サモラノについて、日本のサッカーについて。パラグアイの廣山のことも知っていた。
スチュワーデスが回ってきて飲み物のお代わりを聞いた。
「ウィスキーをもう一杯」
男は目を伏せた。
「悲しくて酒を飲まないとやっていられないんだ」
男は食事を終えるとウィスキーを飲み干し毛布をかぶった。飛行機の中の轟音の中、かすかな歌声が聞こえた。耳をすますと隣の毛布の中からだった。歌声に混じってすすり泣きが聞こえた。

 

 

 

2002年1月22日


スペインやブラジル、言葉の分かる国に滞在する時は、毎日必ず新聞を買うようにしている。スペインでは全国紙、地方紙、スポーツ紙などたくさんの新聞が出ている。僕がスペイン滞在中に買っているのが、「EL PAIS」紙というスペインのクオリティ・ペーパーだ。
クオリティペーパーか、そうでないか。その差は国際面に現れる。「EL PAIS」や「EL MUNDO」は国際面が一番頭に来ており、その分量も多い。短信を申し訳程度に並べた、日本の新聞とは大違いだ。分量だけでなく、例えばリマで起こった事件に、「サンパウロ発」と平気で書く。千キロ以上離れた場所の事件を取材して書けるはずはない。どこかの通信社や現地の新聞の翻訳をしているだけにも関わらず、独自の情報だと言い張れる日本の「一流紙」の神経は計り知れない。
それはさておき、スペインの新聞を読んでいて思うのは、アフリカの記事が多いことだ。日本から見るとアフリカは遠い。しかし、欧州とは近いのだ。当たり前のことを記事の分量から思い知らされる。

 

 

 

2002年1月21日


スペイン北部のラコルーニャという街に滞在している。水曜日夜の飛行機でマドリッドを発って、サンパウロ、ブエノスアイレスとまわりアスンションでブラジルのピザを取って、再びサンパウロ。ブラジルに入国しようと思っていた。
ところが、ブエノスアイレスからアスンション間の予約を入れたところ飛んでいないことが分かった。バリグ航空の切符はすでに発券されているというのに、だ。
ブラジルは南米で唯一日本人が入国する場合、ビザが必要になる。もちろん空港でトランジットするのには問題ないが、入国はできない。比較的すぐにビザを出すパラグアイのブラジル大使館でビザを取ろうと考えて、アスンションに寄ってからブラジルに入ろうと考えていたのだ。
サンパウロからアスンションに飛んで、アスンションでビザを取り、ブラジルに戻るか。ブエノスアイレスまで行って、別の航空会社のチケットを買ってアスンションまで行って、ブラジルに入るか。
なんとも厄介だ。これが南米だ。
もう一つの厄介。これは南米とは何も関係ない。僕は取材旅行の時、カメラを持ち歩いている。カメラを選ぶ基準は、まずは小さいこと。そして綺麗に写ること。
僕は写真家ではない。写真を撮ることは好きだし、雑誌などで使うこともある。ただ僕は物書きだ。写真はあくまで資料用であり、趣味であると思っている。だから大きな持ち運びに気を遣う大きなカメラは必要ない。
そんな条件で、友人の写真家に相談したところ、リコーのGR−1がいいと勧められた。スペイン、ポルトガル、ペルー、そしてキューバ。このホームページ、キューバのコーナーで使っている写真は全てGR−1で撮ったものだ。小さくて描写力があると気に入っていた。ところがキューバから帰ってきたとたん、巻き上げ音がおかしくなり、止まってしまった。今回の取材旅行のために、修理に出したのだが、一週間もしないうちに今度は突然レンズが前に出なくなってしまった。
カメラなんてものは、どうしても乱暴に扱われてしまう。それでいちいち壊れていたら、たまらない。
もう一台、一眼レフをサブとして持ってきているが、やはり重い。マニュアル操作で、ピントも合わせなければならない。
軽くて、綺麗に写って、そして壊れないこと。余計な機能はいらないから、この三つの要素を満たしたものが欲しい。

 

 

 

2002年1月10日


ドイツのフランクフルトを経由して、スペインの首都マドリッドに到着。
成田からフランクフルトまでは満席。フランクフルトの空港はうっすらと雪化粧をしていた。フランクフルトからマドリッドの飛行機も満席だった。マドリッドは思ったほど寒くはなかった。
    ※      ※
前略
2002年が始まりました。
21世紀の最初の年、昨年末に一冊目の単行本を出すことができました。編集者として何冊かの本に携わったことはありましたが、本屋に自分の本が並んでいるのを見るとやはり嬉しいものです。
さて、1月10日からしばらく日本を空けます。まずはスペイン、その後南米大陸に足を伸ばします。帰国は2月半ばになる予定です。
もちろん今回もパソコンを持っていきます。Thinkpadとjornada(WindowsCE)という二台体制、スペイン、ブラジルと勝手知った地なので行方不明になることはないと思います。現地での様子は随時ホームページに載せるつもりです。

 

 

 

2002年1月7日


落ち着かない年末年始だった。
単行本「CUBAユーウツな楽園」の出版パーティを12月27日に開いた。戸井十月さんに発起人になってもらい、百人ほどの人が六本木のディスコに集まってくれた。その日は銀座、新宿へと場所を移し、朝の七時まで飲んでしまった。その後は部屋の模様替えの後始末、大掃除で忙殺された。
本当は本屋を回りたいと思っていた。21日に発売された本が本当に本屋に並んでいるのかどうか。「買った」という連絡は何人かの友達から受けていたが、自分の目で確かめてはいなかった。わざわざ本屋に行ってなかったら、嫌だなとも思って躊躇していたのだ。
部屋が片付いた正月明けの四日、渋谷の駅前の本屋に思い切って入ってみた。改めて本屋を見ると、なんて種類が多いんだろうと思った。旅のコーナーに写真集のところにも僕の書いた赤い表紙の本はなかった。本の洪水の中に飲み込まれてしまっていた。
今日、恵比寿で打ち合わせがあったので、駅前の本屋を探してみた。旅の本のコーナーを見た。ない。写真集のコーナーを探した。ぐるりと回ったが見つからない。諦めかけた時、視界の隅に赤い本が見えた気がした。
写真集のコーナーの真中に平積みされていた。お店の人にお辞儀したくなるほど嬉しかった。

 


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