今朝、起きた時から、足の痛みがひどかった。
日本を出る前から右腿の裏側の筋を痛めていた。今回はサポーターで固定してプレーをしていたのだが、痛みは上の方に広がってきていた。右足を無意識にかばっていたせいか、左足の膝の上にも痛みが出ていた。
ベシエスとの準決勝は朝の十一時から始まった。前半で三点をリードし、後半途中から、左サイドハーフに入った。相手の右サイドの選手が攻撃の起点になっていたので、彼の攻撃を封じながらバランスをとることを心がけた。シュートチャンスが一度あったが、右足を振り抜くことができないので、パスしてしまったのが悔いに残っている。試合は、四対一で終わった。
試合終了間際、クロスボールを挙げさせないように、足を思い切り出した時に右足に痛みが走った。昼食の間、ストレッチをしたが、歩くだけでも痛い。ダッシュは厳しく、右足はトゥキックしかできない。
決勝は午後五時のキックオフ。試合は昨日敗れたセテ。1対零という僅差のまま、試合が進んだ。後半にこちらが、二人も退場者が出てしまって、全く試合のコントロールができない荒れた試合になってしまった。
終了間際に入るはずだったが、人数的に少なくなってしまったために、結局試合には出なかった。出ていれば、怪我をしていたかもしれない。残念ではあったが、結果的に良かったかもしれない。
退場者の一人はジェロームだった。味方がファールを取られ、彼は激怒し暴言を吐いた。トップのプロの選手がそこまで熱くなっていた。だからサッカーは面白いのだ。日本では、上手い選手はだいたい大人しい。ブラジルでもフランスでも上手い選手ほど勝負にこだわる。
試合後のパーティで、いくつかの発見があった。
まずはレッドカードで退場したジェローム。
彼にはフランス代表歴があった(上手いはずだ!)。2001年のコンフェデレーションカップで日本に行く予定もあったのだという。
「突然、落とされた。こういう時は選手はどうしょうもないんだ」
和食の好きなジェロームは日本に行きたかったと、残念そうだった。
初日の試合で暴言を吐いて退場したクリスティはチャウセスク政権下のルーマニアを嫌って、ニームにある外人部隊に八年間所属していた。
「アフリカやら、世界中の紛争地帯に行ったよ」
彼は、狙撃兵だったのだと自慢げに言った。外人部隊には日本人の友人もいたという。
そり込み風にはげ上がった頭、がに股で歩く姿(失礼!)には、普通の元サッカー選手とは違った雰囲気があると思ったが、外人部隊にいたと聞いて頷けた。
また、一緒のチームにプレーしている若い選手がいた。なかなかスピードがあり、技術がしっかりしていた。話を聞いてみると、かつてセテでプレーしていた選手だった。セテはフランスリーグの二部か三部のはずだった。
彼は、祖母がスペイン人で、フランコの時代にフランスに逃げてきたため、スペイン語を話すことができた。
「セテには知り合いがいたんだ。バレーボールの選手なんだけれど」
僕が言うと、彼は驚いた顔をした。
「誰だい? セテは、サッカーとバレーボールとウォーターポロがあるんだ。どのチームも仲が良くて一緒に飲んだりするんだよ」
「加藤陽一という日本人がいただろう?」
「いた。いた。そうだ、彼は日本人だったな。加藤はセテのどう言っていた? 結構大変だったようだけれど。彼はフランス語は話せなかったんじゃないかな?」
「イタリア語は話せるとは思うけれど、フランス語は分からない」
「そうだ、彼はイタリアでプレーしていたんだよね」
「そう」
やはり、色々なところで、繋がるものである。
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