週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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200904

2009年4月29日

来月6日にハンドボール日本代表の日韓戦が行われる。
この試合の登録メンバーを見た時、落胆した。
僕の中で見たいと思っていた選手がかなりいないのだ。
スペインへテストを受けに行っていた宮ア大輔や、東アジア選手権に出場した大同の選手は日程の関係で、最初からメンバーに入っていなかったという……。
僕がお世話になっている平田竹男さんが『サッカーという名の戦争』の中で書いているが、代表チー ムの試合では「強化」と「普及」を両立しなければならない難しさがある。
つまり、五輪や世界選手権の出場権を得るために、チームを強化するのはもちろんだが、魅力的な試合をしてその競技に興味を持つ人を増やさなければならない。普及は、トップアスリートの責任でもあるのだ。
日本代表という名前の試合では、宮ア大輔はもちろんだが、チャンピオンチームである、大同の末松 誠、富田、高木は絶対に外せない。個人的には、今季ブレイクした大崎の内田、あるいは湧永の東長濱秀作も見たい。ハンドボールをある程度知っている人ならば、同じことを考えるだろう。

マッチメイクの要諦は、「誰と」「いつ」試合を組むかである。大会など選手の日程、監督の考える強化プログラムによって、最適な日程が導き出されるはずである。
少なくとも、日本で最も強い大同の選手が参加できない、今回の日程がベストでなかったことは確かだ。
現在のサッカー界で、代表のマッチメイクをするのは大変である。世界のサッカー界は時差のある欧州中心に回っている。能力の高い選手たちは過密スケジュールに追い回される。ワールドカップ予選やユーロなどの大会予選もある。その中で最適の相手を探すのは知恵の輪を解くようなものである。それに比べれば、ハンドボールの試合をマッチメイクすることは、難しい話ではないはずなのだが… …。
折角の日韓戦であるのに、誰もが幸せになれない、残念な試合になりそうである。

チュニジア

2005年1月、ハンドボールの世界選手権のためチュニジアを訪れた時に銀塩GRで撮った写真が出てきた。あれから四年…時の流れは早い。

2009年4月27日

いつものことだが東京にいると、webを更新する気にならない…。
まとめて近況を。
4月10日に早稲田大学のスポーツジャーナリズム講座で一回目の講義。その後は、日刊ゲンダイの短期集中連載など、原稿執筆と打合せの日々である。
今月発売のスポルティーバには、鹿島のオリベイラ監督のインタビュー記事が掲載されている。
15日には、日本シンクロナイズドスケーティングクラブのメールマガジンを始めた。興味のある方は登録をして欲しい。 http://www.japansynchro.jp/grace/index.php/ja/news/team-grace/119-news-2009-04-16
それなりに充実した日々を送っていたのだが、一つだけ事件が−−。
19日に川越スケートリンクまで、シンクロの練習を見にいった後のことだ。
そのまま大宮でサッカーをしたところ、右足首を脱臼。骨が飛び出ていたものを、その場で押し込んではめて元に戻したのだが、靱帯を伸ばしてしまった。医者に行くと全治一か月と診断。
翌日は、ハンドボールのアズマの入学祝いの会があったので、足を引きずりながら月島の『傳々』まで出かけることになった。傳々は、アズマの同級生の高矢が店長の焼肉の名店である。有名人の客も多い。
以前、ブラジルから帰国してすぐに、打合せで訪れた時、某サッカー日本代表選手が隣の席にいたのに気がつかず、ジーコの話をしていたこともあった…。
医者から一週間はアルコールを飲まないように言われていた。大丈夫だろうと思ったのだが、さすが元アスリートのアズマは厳しかった。「靱帯をやった時は、絶対にアルコールは駄目です」と言うので、諦めるしかなかった。
その我慢が良かったのか、意外と早く回復、2日後には普通に歩けるようになった。来週には再びサッカーができるような気もしてきた。

リオ・デ・ジャネイロ

7月までは、大学の授業があるので、長期間日本を空けるのが難しい。先週は、ドイツから写真家のカイサワベ氏が、ブラジルから友人が来た。彼らと会うと、またどこかに行きたくなる。悪い癖だ。
この写真は、リオ・デ・ジャネイロ。じりじりと照りつける太陽が懐かしい。

2009年4月6日

新しい年度に入った。
今週日曜日、大宮でサッカーをした時、桜が咲いているのを見ながら、幸せだと思った。その時、北朝鮮が「テポドン」を打ち上げているとは思わなかったが。
さて。
今日から『日刊ゲンダイ』で『サッカー伝導師の「ブラジル魂」』という短期集中連載が始まった。これまで取材してきたブラジル人指導者たちの話である。
シャムスカ、元鹿島のマジーニョやサントスたちと話をすると、色々と考えさせられる。彼らからは、前向きで、いかに人材を伸ばすかという指向性を感じる。
ブラジルでは「平均」という概念がない。日本では考えられない大富豪からその日の食事にまで事欠く貧民、文盲から天才まで幅広くいるのがブラジルである。崩れつつあるとはいえ、未だ平均の幅の中でほとんどの人間が生活している日本とは対極に位置する。
ブラジルのような社会で、人を育てるには、日本以上に様々な心配りが必要であるのだ。その辺りを書いていくつもりだ(ただ、日本も格差が広がり、ブラジルに近づきつつある。残念なことではあるが)。
早稲田大学で担当している「スポーツジャーナリズム講座」も今週から始まる。僕自身は月一回の登壇になるが、今季の講師は僕がお願いした。映像で新たな試みも始める。
人を伸ばすことを心がけ、新たな学生との出会いを楽しみにしている。

ブラジル

ブラジル人から「ブラジルには何回行ったことがあるのか」と尋ねられることがあるが、もう何回だか数えられなくなった。恐らく全部足せば一年半ぐらいになっているだろう。かなり長い時間だ。
写真は昨年、オーロプレットに行った時に銀塩のGRで撮ったものである。