地味に忙しい日々が続いている。16日からは二泊で、もてぎにでかけオートバイの日本GPを取材してきた。バレンティーノ・ロッシに話を聞くことができたのだが、確かに人を惹きつける何かを持っている男だった。
その他は、時間を作ってオートバイで三浦海岸に出かけたり、三郷までハンドボールの大崎電気の試合を見に出かけたりもした。関東近辺で蠢いている、九月だった。
さて。
今月十五日発売の『VS.』の売り上げがいいと聞いてほっとしている。
僕は、売れなければ存在価値のない男性総合週刊誌で働いていた。いい記事を書くことはもちろんだが、売れなければならないことを痛切に知っているつもりだ。ハンドボールという一般的にはマイナーな競技を一周年記念号で掲載してくれた担当K氏のためにもこの号は売れて欲しかったのだ。
僕は基本的に自分がやるスポーツが好きだ。
サッカーは高校の頭までやっていたし、未だに週に一回はボールを蹴っている。野球は小学生の時にチームに入っており、卒業した翌年は県大会で優勝する程強いチームだった。そして、オートバイは今も乗っている。
自分が愛情を持っているスポーツのうち、ハンドボールだけはやったことがない。取材する選手たちの信頼を得るためにもやりたいとは思っているのだが、なかなか機会がない。
僕が実際にハンドボールを始めて見たのは、フランスで田場裕也選手のウサム・ニームの試合だった。ニームにある、ハンドボール専用体育館は満員で、その熱気に驚いたことを覚えている。田場選手が活躍したこともあるが、試合を見ていて思わず何度も声を挙げていた。かなり強烈な印象だった。
スポーツというのは、そのアスリートの裏側にどんな人間ドラマがあるのか、それを理解することが見る楽しみに繋がると思っている。単純に競技の面白さはもちろんだが、アスリートの生き様に観る人は感情移入をする。野球の清原和博などがいい例だろう。そうしたドラマを伝えるのが書き手としての僕の役目でもある。
ハンドボールにもドラマ(そして個性)を持った選手がいる。僕が『VS.』で書いた、田場選手、宮崎選手や中川選手はもちろんだが、大崎電気の数少ない社員選手で主将を務める東俊介選手もその一人だ。中川選手のホームページの一角を間借りした、『アズマイズム』(http://konchi.dip.jp/hand/bbs_azuma/bbs-g.asp)はハンドボール界の人気サイトとなっている。
ここで彼は僕と“賭”をした話を書いている。先日のトヨタ紡績戦で東選手が、豊田選手よりも点を取れば、僕が焼き肉をおごる。そうでなければ坊主になるというものだ。
約束の経緯は彼のサイトで書いてあるのとちょっと違っている。
僕が一月のチュニジアで行われた世界選手権を取材して、スペイン代表のウリウスという選手に強烈な印象を受けた。彼は東選手と同じ「ポスト」というポジションである。僕はポストというのは、地味で陽の当たらないポジションであると思っていた。ところがウリウスは、チームの中心として輝いていたのだ。
ハンドボールをやったことのない僕も、もしやるならばポストをやってみたいと思った。この話を田場選手にすると「田崎さんの身長(177センチ)じゃ無理ですよ。190センチはないと」と言われた(別に今から日本代表を狙うつもりはないのだが−−と思ったが…。これは全て世界基準で話をする彼のいいところでもある)。
僕でさえ彼に惹かれたのだから、ハンドボールをやっている子供があのプレーを見たら、ポストをやりたがるはず。それはかつて僕がマラドーナを見て中盤の選手になろうとしたようにだ(残念ながら、自分プレーは全くマラドーナに似ていないのだが)。
今の日本リーグを見に来た子供は宮崎大輔選手や豊田選手のポジションをやりたがるだろう。東選手は、代表のポストとして、子供たちにポストをやってみたいと思わせるようなプレーをするべきではないか。味方のために身体を張るのはもちろんだが、欲しいところで得点を取れる選手、まさにチームの攻守の要がポストプレーヤーであることを示して欲しいと僕は話した。ウリウスと僕が見た東選手の一番の差は得点が取れるか、どうか。得点を取れるポストになってもらうために賭をすることになった(もちろん彼の坊主を楽しみにしていた面もある)。
結果は、東選手が七点、豊田選手は三点。彼の勝ちで終わった。
東選手は、さらに点を取り続け、現時点では日本リーグのフィールドの得点王となっている。彼の得点力は、北京五輪へ向かう日本代表の大きな力になるだろう。僕が多少なりとも彼の発奮材料になれたことは嬉しい。
彼は日本代表が世界選手権の出場権を得ながら、自分自身が代表落ちした屈辱を知っている。また、プロ化の流れの中で、社員選手として理想を掲げて踏ん張っている。
彼のプレーを見る機会があれば、そのドラマを感じて欲しい。
僕が彼に焼き肉をおごったのは九月十五日、日付を越えるまで僕たちは飲むことになり、十六日は彼の三十歳の誕生日だった−−。当然、宴は終わることなく、僕は酒が抜けないまま、スーパー常陸に乗り、もてぎで世界のスーパースター、バレンティーノ・ロッシに会うことになった。僕は、二日続けて愉快で魅力的なアスリートと話すことになったのである。
|