週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 最新刊は『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。
早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。twitter :@tazakikenta

INDEX  2013 « 2012  12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1  » 2011

2012年04月16日

桜が散り、世の中の浮かれた空気も風に飛ばされつつある。
もっともぼくはそれどころではなかった。花粉症がましになり、先送りにしていた原稿の〆切りという現実と向き合っている。
原稿の合間、水泳の古賀淳也君を応援するために、辰巳までオートバイで行き、全日本選手権を観に行った。残念ながら、古賀君は二位に入ったものの、ほんの僅かの差で五輪派遣タイムに届かなかった。
古賀君のマネージメントを教え子である丹野がやっている関係で、昨年の夏、話を聞いたことがある(丹野のお父さんとは面識はないものの、多少の関係はあった。縁とは不思議なものである)。その時痛烈に感じたのは、タイムという絶対的な物指しで勝負をしている人間の孤独だった。年下の好敵手・入江君との比較、泳ぎのちょっとした乱れ、低調な成績――ちょうど、彼が負のスパイラルから抜けだそうと藻掻いている時期だった。世界選手権で金メダルを取った状態に戻すまでは、時間が掛かりそうだなと、直感した。
五輪予選に合わせて、彼はタイムを戻してきていた。しかし、ほんの0.05秒及ばなかった。惜しいという見方もあるが、ぼくはここまで良く追い込んだと思う。このまま五輪に出場すれば、さらにタイムは良くなったことだろう。しかし、ここで切られてしまうのも、勝負の厳しさである。
今回、精神面をコントロールしてタイムを戻した経験は次に生きることだろう。ここで終わる男ではない。また、次の挑戦に向かう彼に話を聞いてみたい。

その後、前期の『スポーツジャーナリズム論』の授業が始まった。
毎年初回の授業で話しているスポーツジャーナリズムの特異性≠ノ加えて、どのように本を読むか≠ニいうのを付け加えた。ジャーナリズムを志しているというのに、あまりに本を読んでいない学生が多い。そして、娯楽のための読書と、学ぶための読書を区別できていない。早稲田の学生なので言う必要はないと思っていたが、今年は敢えてその部分についても話すことにした。
授業後、毎回感想が提出されてくる。それを読むと、ぼくの意図を受け止めてくれていた。今季の授業も楽しくなりそうである。
問題は、次の単行本の原稿が終わらないことである。
今週は大阪出張もある。それでも、今週末には終わらせる予定だが……。

200メートル背泳ぎ決勝スタートの瞬間。古賀君は三コース、奥から三番目の選手。

2012年04月02日

ブラジルを出る前から鼻の調子がおかしかった。慌ただしい日々が続いていたこと、飛行機の乾燥した空気で風邪気味なのかなと思っていた。帰国してから、鼻水が止まらない。本格的に風邪をひいてしまったと、体温を測ってみたが、平熱だった。
どうも花粉症になったようだ。
それ以来、どうも調子が出ない。原稿に集中できないのだ。
さて。
4月は別れと出会いの季節である。先週土曜日、今年卒業する学生たちの送り出し会を、元岩井食堂の岩井さんのいるワイン食堂『がっと』で開いた。送り出すことになった三人は、教え子であり、去年のプロレス興行で助けてもらった同志でもある。
今書いている原稿は、今から十数年前あたりのことも触れている。ぼくが二十代半ばだった頃のことだ。『偶然完全 勝新太郎伝』と同時期か、それよりも少し後のことになる。当時の日記を読み返してみると、先が見えず、必死だったことを思い出す。惜しむらくは、その時期は仕事や酒を飲むので忙しかったこともあるだろう、非常に簡略なことしか日記に記していないことだ。
二十代頭まで、人間は育った環境――地縁、血縁に大きく左右される。それ以降は、自分の生き方による縁≠ナ様々な人と出会うことになる。そうした人からどのように生きるか、学ぶ。週刊誌の現場で、時代を動かす才能ある人と出会い、自分は何が出来るのか、藻掻いた。
あの時期は、最も悩み、苦しみ、勉強し、そして楽しんでいた気がする。いわば、青春の最後だった。
二十代は淘汰される時期でもある。二十代で才能のある人間は星の数ほどいる。ただ、多くの人間は年を経るうちに、様々なことを諦め、退屈な日常を受け入れるようになる。人は、不安と希望を持ち続けなければならないと思う。改めて自戒の念を込めて。