週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 最新刊は『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。
早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。twitter :@tazakikenta

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2012年06月30日

現在発売中のGQ八月号で『大阪から何が始まっているのか』第二回が掲載されている。中田宏大阪市特別顧問から、橋下改革を見たレポートである。
さらに、公式サイトの連載『増刊・中田宏』を構成していることもあり、彼の新著『改革者の真贋』(PHP出版)を手伝わせてもらった(彼の挑戦については、いずれぼくの手で長い原稿を書くつもりだ)。
国会議員と政令指定都市の首長を経験した彼は、はっとする言葉を口にすることがある。
例えば、『改革者の真贋』の中の一節。
〈実は国会議員には、大決断を迫られる場面はほとんどない。議論を経て党の決定が決まれば、党議拘束がかかり、それに従わなければならず「党で決まったことだから」という説明が出来る。(中略)何期当選を重ねても、そんな過ごし方をしてきた多くの議員にとっては、いきなり大臣となって日本のために決断をしろといってもできるはずがない〉
先日の消費税増税で民主党から造反議員が出たではないかいう反論はあるかもしれないが、あれは民主党が「政党」の体をなしていない特別な状態だ。これまで日本の政治は党の数合わせ≠フために、不要な議員を濫造してきた。だから、最近、テレビに出て恥と品格のなさを晒している、杉村なんとかという馬鹿でも議員になれるのだ!
中田さんによると、地方自治体の首長は「まともにやれば」、決断の連続だと言う(土産物の販売にしか役に立たなかった元タレントなどは除く)。そうした意味で、アメリカの歴代大統領の多くが地方自治体の首長を経験し、決断を積み重ねたことは当然のことなのだ。
ところが永田町では、大臣適齢期は本人の資質とは別に、当選回数で決められる。だから答弁で役人の書いた原稿を読むしかない大臣が次々と現れる。総理大臣でさえも、曖昧に決められてきた。
この話を聞いた時、これは政界だけの話ではないと思った。
楽天など、近年のベンチャー企業が急速に規模を拡大できたのは、トップの人間が創業者社長として様々な決断の経験があることも一因だった。会社のトップに決断の蓄積がある。決断には失敗もある。そこから学べばいいのだ。
一方、日本の既存の企業は、サラリーマンとして役員まで上り詰めるには、突出した能力よりも調整能力が必要とされる。そして、彼らは自分の身を切る決断をしたことがない。だから、しばしば能力不足の人間が要職に就き、決断を躊躇っているうちに、時代から取り残されていくのだ。
『改革者の真贋』は政治の決断を書いた本ではあるが、政治に興味ない人にとっても、日本の社会がどのような制度疲労を抱えているのか知ることが出来る本だと思う。是非一読を。

被災地のペットの飼い主を探す『里親会』で見掛けた子猫。被災地を特区にするなど、様々な手があるはず。今の政治では猫も救えない。

2012年06月16日

大学の授業で、ノンフィクションの題材選びは、最終的には「縁」と「運」に頼ることが大きいと話している。ぼく自身できる限り、縁を大切にするようにしている。
齋藤将基を初めて見たのは、二〇〇二年、彼が所属していた静岡FCが地域リーグ決勝大会に進出した時のことだ。この時の静岡FCは、オーナーともいえる納谷宣雄さんの性格を反映して、攻撃陣のタレントが揃っていた。
ジュビロ磐田を多重債務による金銭問題で解雇された清野智秋。彼は一八才、一九才以下の日本代表にも選ばれており、かつて将来を嘱望された大型フォワードである。さらに元横浜FCの要田勇一、ブラジル代表経験のあるジアス――将基は控えだった。
将基とは一緒にフットサルをしたこともある。フィニッシュは少々雑なところがあったが、飛び抜けたスピードのある選手だった。その後、中国リーグでプレーした後、将基はヴェルディに入り、ACLにも出場した(過去記事)。
そして、今季からツエーゲン金沢に移籍している。関東にはたまにしか来ないので、この日は試合を見に出かけたのだ。怪我の影響で残念ながら出場は五分程度だった。それでも彼の気迫は感じた。

将基が入る前に勝ち越し点が入ってしまい、前線からの守備に追われてしまった。

2012年06月12日

そして翌日は、バスで札幌に行き、伊藤羽仁衣の十周年パーティ。
羽仁衣と初めて会ったのは、今から約一年半前。もの凄く元気で前向きな女の子という印象だった。彼女の人生に最も影響を与えた亡くなったお父さんが、ぼくと同じ東山高校出身ということで、すぐに仲良くなった。
この若さで十周年パーティを開くのは凄い。最初に会った時と比べると、自信が出たのか、貫禄がついたかも。もっとも、貫禄が出てきたというのは女子にとっては褒め言葉ではないかもしれないが……。
笑いの絶えないパーティだった。羽仁衣が皆から愛されているのを感じた。この後、羽仁衣の兄の慎君、K君と朝まで札幌の街を堪能。相当楽しく、そして疲れた。原稿を仕上げた後だったので、かなり飲んでしまった…。

最後に舞台に上がった羽仁衣と慎君

2012年06月11日

昨日から北海道へ。
本当は友人のデザイナー、伊藤羽仁衣のパーティに合わせて北海道に入り、数日のんびりするつもりだった。ところが、原稿が終わらず、最後の仕上げのために新千歳空港から近い登別温泉に籠もることになった。いつもの通り、原稿を書く以外は、食事か風呂、あるいは散歩。
インターネットが繋がらない宿だったので、かなり集中することが出来た。器用でないぼくは、何百枚もの長い原稿を仕上げる時、他のことを忘れて没頭する時間が必要なのだ。

カメラを持って散歩するのが気分転換。湯沢神社にて。

のぼりべつ地獄谷は、中国人観光客に占拠されていた。

2012年06月02日

ぼくが担当している早稲田大学の後期の授業『実践スポーツジャーナリズム演習』では、皆で同じ本を読んで意見を言い合う読書会を取り入れている。2年前に取りあげたのはデビッド・ハルバースタムの『栄光と狂気』だった。これは名作中の名作であり、ノンフィクションに関わっている人間ならば、読んでいなければもぐり≠セ。
ただ、日本では良書がすぐに絶版になってしまう。「原書だと新刊で手に入るので」とペーパーバックを持っていたのが何人かいたのは、今の時代らしかった。本物の良書を絶版にしない。アメリカ出版界の良心を感じる(ほぼ一律な出版契約を結ぶ日本のシステムには無理があると思う。一時期の勢いで売る玩具のような、タレント本と、身を削って書いた本を一緒にされるのは不愉快だ)

さて。
『栄光と狂気』はボート競技の話である。アマチュアのマイナースポーツに、選手たちは人生を掛けて取り組む。名門大学のエリートであり彼らは、もっと恵まれた生き方があるのに、敢えて苦しい道を選ぶのだ。
ぼくは授業の中で、「作家は登場人物に自分を投影することがある。ハルバースタムは、報われないボート競技の選手たちに、ノンフィクションの書き手である自分を重ねているのかもしれない」と話した。ぼくたちの商売も、一見、華やかに見えるが、かなり地味な世界だ。取材、文献検索等、無駄が多い。書きたいと思う表現欲、そして書き終わった時のちょっとした満足感だけが作家を支えている。

そして、ある時期から、もっと報われることの少ない職業があると思うようになった。
格闘家である。
スポットライトを浴びるのは一瞬。チームスポーツではないので、自分の身体一つで全てを受け止めなければならない。
そして、時に理不尽なことで勝負が決まってしまうこともある。努力は報われるとは限らない。
この日の大山峻護さんの試合は、まさにそうだった。様々な準備が、一瞬のずれで崩れてしまった。このはかなさがあるから、皆が格闘技に惹かれるのかもしれないが。

十数年ぶりに見たパンクラスは面白かった。いずれ格闘技についても長い原稿を書いてみたいと思った。