1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。 | |
2012年12月31日
いよいよ2011年も最後の日になった。
今年は例年以上に、最後の最後まで仕事に追われることになった。結局、大掃除に取りかかれず終いだった。この忙しさが落ち着く春に、季節外れの掃除をするしかない。
さて、さて。
年明け、一月三日のニッポン放送のプレスリリースである。オンエアーは、12時〜。
では、良い年を!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
MLB選手会公認代理人・団野村が移籍事情や日本人メジャーリーガーを語る。
「侍メジャーリーガー」
〜エージェント・団野村が語る移籍の裏側・選手の素顔〜
日本人選手のメジャー挑戦を「エージェント(代理人)」という立場でサポートし続けてきた団野村(55)が、ニッポン放送の新春特番「侍メジャーリーガー 〜エージェント・団野村が語る移籍の裏側・選手の素顔〜」で、自身が交渉を請け負った野茂英雄・伊良部秀輝・ダルビッシュ有・藤川球児らとのエピソードや、日米両球界の移籍裏事情や権利拡大の苦労・困難を語った。親交の深い作家の田崎健太(44)がインタビュアーとして真相を聞き出す。
「伊良部秀輝とヤンキースのスタインブレナー元オーナーとの関係は良好だった」「マスコミに叩かれたときもあえて黙っていた」「交渉の時には選手が同席しないほうがいい」など、選手たちとの話・自身の葛藤をはじめ、明かされなかった数々の話を伺った。
また、近年話題に上がっている「メジャーの使用球は滑りやすい」という話について、団氏は異を唱える。「1年目からあれだけ活躍した野茂英雄をはじめ、マック鈴木、伊良部秀輝、吉井理人など数多くの日本人と接してきたが、『ボールが滑る』と言った話は聞いたことが無い。自分でも実際投げてみたが、そんな感じもなかった。いつの頃からか何人かの選手が言い始めたようだけど。」と語っている。
そして話は日米両球団をよく知る団氏だからこそ思う「日本球界への提言」で締められる。
「侍メジャーリーガー 〜エージェント・団野村が語る移籍の裏側・選手の素顔〜」は、1月3日(木)正午から放送。
先週土曜日にニッポン放送のスタジオでナレーションを収録。きちんと喋ることは難しい!
今年の後悔は、一度もオートバイで遠出が出来なかったこと。来年の夏こそ、Z1で北海道に行きたい。
2012年12月26日
上海の空は朝から分厚い雲で覆われ、ぽつぽつと冷たい雨が降っていた。日本に帰れば多少は暖かいだろうと期待していた。ところが成田に着くと寒い。体感的には上海と変わらない。
今回の上海行きでは、実りのある打合せが出来た。順調に行けば来年は中国へ行くことが増えるだろう。
今年も残り僅か、最後まで走り続けよう――。
ホテルからタクシーで空港に向かう。いつものようにこの後、渋滞。
成田に到着する直前、夕陽が綺麗だった。
2012年12月24日
総選挙が終わってから、溜まっていたデータ整理に追われている。今回は同行しながら話を聞くという取材方法をとったので、音声データやメモが膨大になった。これらのデータをまとめなければ、原稿に取りかかれない。
そんな中、MLB公式代理人の団野村さんとラジオ番組の収録をしてきた。野茂英雄さん、伊良部秀輝さん、ダルビッシュ有選手、そしてカブスに移籍が決まったばかりの藤川球児選手――。ぼくがホスト役となって、メジャーリーガーの移籍の裏側、素顔について聞いた。
これまでも団さんには十時間以上話を聞いている。改めて思ったのは、メジャーリーグ選手会の強さである。メジャーリーグはチーム経営者、リーグと対峙して、数々の権利を勝ち取ってきた。
日本のプロ野球はというと――。メジャー移籍のポスティング制度に代表されるように、日本のプロ野球の制度改革のほとんどは外圧≠ナあり、FA制度にしてもメジャーの制度の形だけの模倣である。選手たちが勝ち取ったものでないので、権利意識が低い。球団やリーグと交渉の際、「ストライキは絶対にしません」という選手会長が美談に仕立てられたこともあった。戦争を仕掛けているのに、武器を放棄するようなものだ。ならば最初から戦わなければいいのだ。アメリカに守られた平和を当たり前だと考える、平和ボケ≠オた人たちのようである。
そんな緩い日本球界の中で、団さんは選手の権利のために戦ってきた。その言葉は経験に裏打ちされているので、面白い。収録は一時間半を軽々超えた。どこまでオンエアーされるか分からないが、かなり面白いことは間違いない。正月3日の正午は、是非ニッポン放送を聞いて欲しい。
さて、さて。
クリスマスイブの今日から上海に来ている。上海を訪れるのは、三年ぶり。桑名正博さんのニューイヤーロックフェスに同行して以来だ。
着いてすぐに崔健のライブへ
2012年12月18日
昨日の日本経済新聞の朝刊一面に自民党圧勝の理由について〈一人ひとりが「少しはましな政治にするにはどうしたらいいのか」と迷いながら投じた一票の積み重ねが老舗政党への回帰だったのではないか〉と政治部長が書いている。
中田宏さんと一緒に、福井、新潟、長野、山形、仙台、埼玉、そして東京を回ったぼくの感想は違う。
特に選挙区が広い地方では、組織がなければ選挙が成り立たない。突然、立候補した維新の候補者はポスター貼りさえままならなかった。地方の小選挙区は、選択肢がそもそも自民か民主しかなく、たまたま今回は自民党が自らの組織票に上積みできただけのことだ。
付け加えるならば、既成政党には選挙を良く知っている人間が多い。
「比例は維新でも構いません。でも小選挙区は自民の○○でお願いします」
そうした呼びかけで、自民は小選挙区を勝ち取っていった。維新が比例で強かったのは、そうした結果でもある。
自民や民主を支える選挙組織は弱体化し、なくなりつつある。しかし、確実に存在している。
原発より何より、この国の問題は時代遅れの枠組みである。その枠組みを根本から作り直さない限り、脱原発も不可能だろうし、被災地の復興にも思い切った手を打てないだろう。
自民党は、古い選挙システムの上に乗っかって政権を奪い返した。その後ろには組織で応援する、利益団体がどっしりと構えている。既得権益の人間をばっさり切れない以上、衰退化する日本を救える画期的な策を出せるはずがない。
多少の気休めではないのだが、中田宏さんは当選してもそれほど喜んでいなかった。ほっとしたのが本音だったろう。それ以上に困難な道が待っていることをよく理解している(維新の会は問題だらけだ!)。そもそも当選が目的で、それを手放しで喜んでいるような議員はいらない。
山形は大雪だった。渋滞で、予定していた遊説場所に辿り着けないこともある。次の選挙区での予定があるので、泣く泣く移動せざるを得なかった。
仙台の維新の候補者の選挙事務所にて。このダルマには結局、目が入らなかった…。
新庄駅では雪の中の演説となった。雪国の選挙戦では、長靴使用がモラルとして許されていることを知った。関東圏ではNG。
2012年12月10日
十数年前、出版社を辞めた時、きちんと取材してみたい題材を書き出したことがある。その中に、日本の選挙があった。
今回、維新の会と中田宏さんを追いかける中で総選挙を取材するようになった。選挙の単なるルポルタージュでないにしても、その思いは叶った訳である。
選挙現場で感じるのは、自民、民主党といった既成政党の選挙の強さ――組織力、動員力である。小選挙区と言っても、地方では広大な面積になる。選挙管理委員会が指定した看板にポスターを貼るだけでも大変な労力である。今回は、解散から総選挙まで殆ど時間がなかったため、維新の会は準備不足で選挙を始めることになった。自民党の候補者が公示から1時間でポスターを貼りきる中、維新の会のポスターが未だに貼られていない看板もある。
ただ、こうも言える。
誰が、自民、民主党の候補者を支えているのか――。それは、自治労やJAのような労働組合、建設業などの業界団体である。東京で普通に生活しているとあまり感じることのない、こうした人々≠ェ既成政党の頼りであった。当然のことながら、当選した後、こうしたしがらみを断ち切ることは出来ない。
日本という国は、税金、社会保障に代表されるように、右肩上がりの経済成長という幻想の上に作られた枠組みで出来ている。この古い枠組みを変えなければ、ますます立ちゆかなくなる。
この枠組みを根本的に変える際、無駄は徹底的に削らなけれぱならない。ところが、既存政党には様々な利益代表のような議員がいる。彼らの顔を立てると、結局何もできないのだ。
これまでの日本の選挙は国民の代表を選ぶのではなく、一貫して組織や業界の利益代表を国会に送り出すということだったのだとつくづく感じる。
今日は長野方面へ。地元テレビから移動中も取材を受ける。
雪が舞う、上田駅前で、井手泰介候補応援演説を終えて東京へ。ここは羽田元首相のお膝元、民主党が強い。街を走っていると、その候補の大きな事務所の前を通った。ところがこれは分室であり、さらに本部があるという。
この日、自民党は麻生太郎元総理が長野入り。SPに囲まれて、動員を掛けた人たちが集まる。こうした周りのお膳立てがあるから、組織力のある政党から議員はなかなか離れられない。
2012年12月08日
一人の人間に何度も話を聞き、その多面性を知ることは取材者を成長させる。ということを最初に教わったのは、二十代の時、勝新太郎さんからだった。
三十代は、広山望君にパラグアイ、ブラジルからポルトガル、フランスまで伴走した。当時、日本のサッカー選手は文字通り、あちこちにぶつかり、傷だらけになって世界に出ようとしていた。その姿にぼくは、どのように生きるのか考えた。
そして四十代になって、ここ数年は、前横浜市長の中田宏さんに定期的に話を聞いている。邪な人間は理解できない程、彼は社会を良くすることにまっすぐである。今回、ぼくは中田さんに同行し、一緒の空気を感じて、この選挙を描くことにした。今の日本が抱えた問題を浮き彫りに出来ると思ったからである。
今回の総選挙、日本維新の会の比例区から出馬した彼に与えられた責務は、他の候補者の応援である。ここ十日ほど、彼を追いかけて日本中を飛び回っている。日本は狭いが、それぞれに豊かで独自の文化がある――こんな当たり前のことを改めて感じている。
4日の公示日は朝から冷たい雨が降っていた。幸いにも午後には上がった。東京19区から立候補した山田宏さんの決意表明演説へ。山田さんには『GQ』の原稿でも話を聞かせてもらった。
2002年W杯ぶりに新潟へ。トンネルを抜けると、まさにそこは雪国だった。立っていると足元から凍えてくる。小千谷にて。
新潟ということは、この人の選挙区でもある。
そして昨日は元住吉の駅前へ。