www.liberdade.com/ 週刊田崎
疾走ペルー 最近の仕事っぷり
キューバ カーニバル
     
  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2002年10月25日


成田空港の寒さを身構えていたが、思っていたほどではなかった。出発の前々日からサンパウロの夜は冷え込んでいたのだ。
成田空港の空は青く、気持ちのいい秋晴れだった。
        ☆   ☆
前略
本日、一ヶ月以上に渡る取材旅行から、無事に帰国しました。
今回まわったのは、ポルトガル、スペイン、パラグアイ、ブラジルの四ヶ国。ブラジルではトカンチンス州という中心部に出かけ、トルマリンや水晶といった宝石掘り(ポルトガル語でガリンペイロ)の生活を覗いてきました。
当初は一ヶ月ほどで日本に戻る予定でしたが、結果的には六週間以上空けてしまいました。しばらくは仕事に終われる毎日になりそうです。

   

 

 

2002年10月20日


四日ぶりにサンパウロに戻ってきた。サンパウロの友人は暑くて仕方がないと言っていたが、気温四十度を越えるトカンチンス州から戻ってきた僕には多少は楽に感じる。
トカンチンス州は、ブラジルの真ん中に位置する。大地のほとんどは、セハードと呼ばれる草原が広がっている。トカンチンス州は、十年ほど前にゴイアス州から分離した新しい州だ。元々のゴイアス州には、広大な土地を利用して、人工都市ブラジリアを建設されたが、トカンチンス州は輪を掛けて何もない。
そんなトカンチンス州を僕が訪れたのは、トルマリンなどの宝石が採れるからだ。
宝石掘りのことをポルトガル語でガリンペイロと呼ぶ。ガリンペイロの生活を知るために、彼らと仕事をする知り合いに付いていったのだ。
飛行機でサンパウロからブラジリアを経由して、州都パルマスへ。パルマスから、レンタカーで四百キロほど離れたジャウーという村へ。このジャウー・ド・トカンチンスという村が電気が通じている最後だった。
街を出て牧場の農道をひた走った。道ばたでは、カウベルをつけた牛の群、馬、羊が草をはんでいる。野生の鹿、ダチョウが農道を横切った。
ガリンペイロの家は、椰子の木を葺いたもので、電気はもちろん水道もない。携帯電話はパルマスの街を出たところからすでに通じなかった。彼らの家で、米とフェジョン(豆)、肉、近くで取れた魚やカメレオンを食べた。
このトカンチンス行きについては、数年前から行きたいと考えていたが、なかなかスケジュールが合わなかった。今回は比較的時間に余裕があり、ようやく実現した。
発表するメディアを決めずに出かけたが、何かの形で露出するつもりだ。

ガリンペイロたち

 

 

2002年10月11日


取材で一泊、リオ・デ・ジャネイロに行き戻ってきた。リオは、山と海との狭い場所に街が広がっている。それにも関わらず車の量は増え続けているので渋滞がひどい。楽しむにはいいが仕事をする場所ではない。
サンパウロに戻り、国内線のコンゴーニアス空港まで友人が迎えに来てくれた。友人の車はエアコンがない。ここのところサンパウロの気温は連日三十度を軽々越えている。サンパウロもまた渋滞していた。車の窓から、排気ガスが吹き込んでくる。汗と埃で、少し走っただけで身体が煤けてしまったような感覚になった。

リオ空港に向かう車の渋滞

 

 

2002年10月9日


サンパウロに足止めを食っている。
今週の日曜日は、総選挙。もともと薄汚れたサンパウロの街は、街灯に乱雑にポスターが巻き付けられ、道にはちらしが散らばりさらに見苦しくなっていた。総選挙のため、先週末から動きが止まり、今週は浄土真宗の寺の行事があり、その影響を受けて取材のスケジュールが決まらない。
着いた時に肌寒かったサンパウロの太陽の光りは強くなり、気温が上がっている。

サンパウロ郊外の街、グアラチンゲタにて
スタジアムの犬

 

 

2002年10月1日


ほんの二、三日のつもりでいた、アスンションに一週間近く滞在してしまった。
昨日は、菅野と一緒に公園に行き練習をした。菅野はチームの練習とは別に、練習を受けているのだ。コーチのペレスは、パルメイラスの元ゴールキーパー、引退後ザガロと共にサウジアラビア代表のゴールキーパーコーチを務めていた。つい先日までパラグアイ一部リーグの監督をしていた。白髪で小太り、一見どこにでもいそうな好々爺なのだが、サウジアラビア代表のコーチとして、アジアカップ優勝、ワールドカップにも出場している。そんな人に僕が教えてもらえるのだから、パラグアイはやはり面白い。
当たり前だが、練習はきつかった。ボールを使ったトレーニングなのだが、メニューの組み方が上手くて飽きなかった。一応菅野とほぼ同じメニューをこなした。菅野から、まだやれるというお世辞の言葉を貰って、少しいい気分になった。
まあ、三十四才のノンフィクションライターがフィジカルを上げてどうなるわけでもないのだが。
楽しかったアスンションに別れを告げ、午後の飛行機でサンパウロへ。
ブラジルは総選挙の真っ只中だった。

サンパウロ、リベルダージ街角の選挙ポスター




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