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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2004年1月18日


東京の冬が身にしみる…と思ったのも当たり前のことで、昨年は一月あたまから、南米に旅立ち一ヶ月以上日本を空けていた。振り返ってみれば、一昨年も一月末からリオのカーニバル他の取材のために南米に向かっていた。
今年はそういった予定もなく、最も寒い一月、二月を東京で過ごすことになりそうだ。
家で原稿を書き、煮詰まると自転車や徒歩で近所のカフェや図書館に出掛ける。そんな生活も悪くない。

 

 

近所にある岡本太郎記念館に出掛けた。岡本太郎といえば、僕の年代では万博の太陽の塔だ。僕が初めて(その後は一度もないはずだ)迷子になったのも万博だったらしい。同じような、といえば語弊があるが、近い作風のダリの記念館スペインのフィゲラスにある。それと比べると、中身は薄く入場料は高い。青山という一等地にあるということもあるだろうが、作風にふさわしい豪快で笑えるものだともっといいのだが。日本をはみ出た人間であったにも関わらず、記念館はあまりに日本的に狭く、悲しくなるほどだった。

 


 

 

 

2004年1月1日


2004年が始まった。
早いもので、出版社を退社してから四年となる。退社の日に12月31日を選んだこともあって、年が明けると、フリーランスとしてなんとか生きていることを改めて振り返る。
昨年は、本名で二冊めの単行本を出すことが出来た、まずまずの年だった。
さて、今年の抱負。
昨年から始めたフランス語と中国語を実践で使えるようになりたい。あとは、単行本の重版が掛かること−−これが本当の抱負だ。
今年から、仕事周りでの変化が一つある。
『プロフェッショナルマネージメント』という会社に、マネージメントを頼むことにした。
そもそも物を書くという職業は、ペンと紙という材料、人間関係で編集者という出版者側の人間が一人いれば事足りるという、軽快なものだ(もちろん実際の僕はパソコンやデジタルカメラやICレコーダー、インターネットがなければ仕事はできないのだが)。
担当編集者に恵まれてきたこともあり(安易な作りにこちらが憤り、つき合いのなくなった電子メディアもあったが)、これまで他にわざわざ人を介在させる必要は感じたことはなかった。
ただ、今のように多くのメディアが乱立している中で、一人で目を配り適切な判断を下すことの難しさはある。自分とは全く違う観点からの意見も大切であるということも、四年間のあいだに感じるようになっていた。
紙媒体に関して変化はないが、それ以外の媒体での新たな動きも見据えていきたい−−そういった思いで契約を結ぶことにしたのだ。
具体的にはどのような形で、仕事が進むのかは分らないが、新たなことを始めていくという期待はある。

 

 

2004年の年賀状に使った写真は、秋にスペインのガリシア州に行った時に撮ったものだ。
フェロールの港に近い坂の途中にある古いバール。
小学生時代の数年間を、京都の舞鶴という日本海側の港町で過ごしたせいか、
寂れた港町に来ると気持ちが落ち着く。

 


 

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