週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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201006

2010年6月25日

昨日、サンパウロに到着。
サンパウロの中心地、パウリスタ大通りは、高層ビルが建ち並ぶ商業地帯である。ネクタイを締めた 男たちが忙しく歩くこの通りが、今日は浮かれた空気に包まれていた。
銀行の中を硝子越しに見ると、職員がブラジル代表の色である、黄色のTシャツを着て仕事をしてい た。本来は忙しい金曜日だが、すでに店じまいの雰囲気だった。
歩道には、ユニフォーム姿で国旗をまとった男たちが、ブブゼラの音が吹き鳴らして歩いている。
ブラジル対ポルトガルの試合に合わせて、バールが慌ただしく準備をしていた。
肝心の試合は、冷えたものだった。すでにグループリーグ突破を決めたブラジル、大敗しなければ、次に進めるポルトガル。互いを探るように慎重な試合が続いた。
ブラジルではゴールを決めると花火が打ち鳴らさせる。0対0の退屈な試合のうっぷんを晴らすかのように、試合終了と同時にあちこちで爆発音が聞こえた。
いよいよW杯も佳境だ。他にやるべき仕事をもってきたのだが、手につかない。仕方がない、四 年に一度の大会をブラジルで迎えるのだからと、自分に言い聞かせている。

このバールは試合開始、30分前には満員で入れなかった。

2010年6月24日

今、ヒューストンの空港ラウンジで、MacBookを広げている。数時間後、飛行機に乗って、サンパウロに向かう。
ブラジルには延べ二年近く滞在しているが、W杯期間中にいるのは二度目。九八年以来のことだ。
あの時は、開幕前から花火が打ち上げられ、問屋街に行くと、ブラジル代表のユニフォームや応援グッズが品切れになるほど、売れていた。
太った婦人が「ねぇ、エジムンドのはないの?」と店員に尋ねていたことを思い出す。アニマル ことエジムンドは、ブラジルではセックスアピールがあるらしく、女性に人気があった。

さて、イベントの告知がある。 まずは、7月17日に大阪の 『スタンダードブックストア』 で下田画伯とトークショーを行う。
こだわりのブックストアのようで、訪れるのが楽しみだ。関西在住の方は是非、足を運んで欲しい。 スタンダードブックストアのブログ にも告知がある。 また、翌週7月23日、西麻布の 『Rainy Day Bookstore & Cafe』 で、同じく下田画伯とトーク&スラ イドショーを行う。 どちらも『辺境遊記』の写真と絵を交えて、書かなかった話、書けなかった話(!?)をするつもりだ。

『辺境遊記』の中でも使用したカトマンズの写真。

2010年6月22日

昨日は、勝新太郎さんの命日だった。
朝まで日刊ゲンダイの原稿を書いたあと、仮眠して、恵比寿でピッピさんと待ち合わせて寺に向かった。
梅雨入りしたのが、嘘のように昼過ぎからいい天気になった。墓前に、勝さんの好きだったキリンの一番搾りとパーラメントを供えた。
その後は、元勝プロの方たちと、お寺の一室を借りて宴会が始まった。勝さんの命日に湿っぽい話は似合わない。昼間からビールを飲み、様々な話を聞かせてもらった。
勝さんの周りには、様々な種類の人間が集まっていたとつくづく思う。勝さんは、天国でぼくたちの 宴会を楽しんでいてくれただろう。先月、中村玉緒さんと赤坂で偶然会ったことなど、ぼくは勝さんに導かれている気がする。

2010年6月21日

W杯が始まると、生活のリズムが狂う。
開幕前日の6月10日朝、フジテレビの『知りたがり』に出演した。今回、どうしてW杯が南アフリカで開催されることになったのかを話してきた。迎えの車が来てくれたとはいえ、お台場のフジテレビに朝八時集合は辛かった。
試合が始まってからは、『日刊ゲンダイ』で『田崎健太の目』というコラムを不定期連載している。 ブラジル代表を書くには、朝の3時半スタートの試合を見なければならない…。原稿を送ると朝の七時。国内にいるのに時差ぼけ状態だ。
ブラジルのグループリーグ2試合目、コートジボワール戦後の原稿はこんな感じだ。
今回の大会のアフリカ勢の不調は様々な原因があると思うが、ぼくなりの見方を書いてみた。

☆    ☆    ☆    ☆

かつて、ブラジルはアフリカを畏れていた。 自分たちの奔放で攻撃的なサッカーを越えるとすれば、閃き≠ニ身体的能力を兼ね備えたアフリ カ大陸の選手たちだろうと見ていたのだ。
事実、アフリカ各国から、優れた選手が次々と生まれ、96年のアトランタ五輪ではナイジェリアが優勝、アフリカ大陸で初めて開催された今回のW杯は、アフリカ勢が席巻するはず、だった。
コートジボワールはアフリカ屈指の好チームである。屈強な身体としっかりとした個人技、そして イングランド代表などを率いたエリクソン監督による欧州仕込みの組織的な守備で、ブラジルを相手 に一歩も引かず、前半は押し気味に試合を進めた。
しかし、得点の匂いはしなかった。
サッカーには、サイドからのクロスボールを上げるなど得点を獲る方程式≠ヘあるものの、得点の多くは閃き≠ノよって生まれる。
FWドロクバを中心としたコートジボワールの選手たちに、ブラジルDFルシオたちを慌てさせる 閃きはなかった。アフリカらしい自由奔放どころか、手堅い守備の方が印象的なチームだった。まるで、アフリカ大陸出身選手で固められた欧州の強豪クラブのようだった。
そして、先に得点を奪ったのはブラジルだった。それは、MFカカたちの、ブラジルらしい閃きから生まれた。
後半、コートジボワールは一点を返したものの、方程式通りの得点で魅力に欠けた。さらに、試合終盤は悪質なファールを連発し、アフリカらしさを自ら放棄した。
ブラジルがこのまま決勝まで突っ走るかどうかは分からない。ただ、決勝トーナメント以降に照準を合わせて調整している、セレソンの閃きはますます冴えることだろう。
コートジボワールと同じようにアフリカサッカーのアイデンティティを失ったカメルーンは、すで にグループリーグ敗退している。この大会はアフリカサッカーの短い旬の終わりと、王国ブラジルの 強さを改めて見せつけられる大会になるのかもしれない。

☆    ☆    ☆    ☆

大会が始まる前、ぼくはブラジルとアルゼンチンの決勝、そしてブラジル優勝を予想した。さて、 どうなることやら。

残念ながら、ぼくは今回の南ア行きを見送った。治安がどうこうではなく、単純に大学の授業があることと、単行本の取材が大詰めに入っていることが理由だ。 世界40カ国ほど行っている中、アフリカ大陸はまだチュニジアとモロッコしか行っていない。二つ の国とも欧州文化の影響が強い。いつか、本当のアフリカを旅してみたい。 写真は、モロッコのタンジールのホテルから。

2010年6月6日

先週は地獄だった。
金曜日の授業のため、水、木と朝まで学生の原稿を読んでいたので、生活リズムが滅茶滅茶になってしまった。今季はレベルが高いので、おろそかに読むことができない。読みながら新たな発見もあった。
授業が終わったあと、短期集中連載中の『日刊ゲンダイ』の原稿を書き上げたあと、断続的に眠り続けて、起きると土曜日の夕方だった。
この日の夜は、ハンドボールのジャパンカップに合わせて、元日本代表主将アズマが主宰する5人制ハンドボール体験会が行われることになっていた。
コラソンの件をはじめとして、ハンドボール協会には、いい思いがない。
関わるとロクなことがないので、ジャパンカップは最初からパスし、体験会だけ行きたいと連絡を入れていた。
以前、コラソンの練習で少しだけキャッチボールをしたことはあったが、ハンドボールをするのはほぼ初めて。シュート練習の後、ゲームをすることになった。
組み合わせでアズマの大学院での同級生である、桑田真澄さんのチームと対戦。自ら、先制ゴールを挙げた…までは良かったけれど、息が切れる。先週の不規則な生活が身体に響いていた。
途中から、キーパーとして桑田さんのシュートを二本はじいたものの、最後の最後でシュートを決められた。コースは読んでいたのだけれど、思ったより球が速かった。さすが、だった。

いつも思うことなのだが、ハンドボール界は、実業団チームに所属している選手でさえ、代表チームに対して冷淡だ。 代表に選ばれていない実業団選手が代表試合があるとき、ブログなどで
<ぼくたちの代表です。会場に足を運んで、応援しましょう>
と書いているのを(アズマ以外)ほとんど見たことがない。
自分たちの代表という意識がなく無関心なのか。自分が代表に選ばれないから応援したくない、今の代表に対して面白くないという気持ちがあるのか?? (代表選考の基準が、曖昧で首を傾げることも多いのは事実だが)。
サッカー界は、プロからアマチュアまで代表が中心にある。どこの国にいようと、どこのカテゴリーだろうが、サッカー界の一員として、代表は応援して当然だ。だから代表選手は誇りを持つことがで きる。その常識に馴染んでいるので、ハンドボールを見ていると、違和感がある。
当事者が国を代表する選手に対するリスペクトを持てない中、ハンドボールをメジャーにするとか、普及活動を頑張りますというのは空々しい。結局、おのおのが自分の利益だけしか考えていないように映る。
そんな中、アズマは昔から特別だった。
代表に選ばれてもおかしくない力を持ちながら、悔しさを隠して応援団を自ら結成したこともあった。引退した今回も、100人以上の応援団を自主的に組織したのだ(ぼくの担当している、スポーツ ジャーナリズム論の授業でもビラを配ったところ、十人ほど応募があったという)。 5人制のハンドボールも競技人口を増やそうという、面白い試みだ。
こうした男はもっと大切にされるべきだ。
5人制のハンドボールは可能性がある、と思う。やってみて楽しかった。

授業用のスライド。Macのキーノートもだいぶ使い慣れてきた。1年前はパワポを全く使えず、平田先生に指摘されたこともある。やってみるものだ。