週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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201012

2010年12月12日

ぼくが立ち上げた新会社『Son-God-Cool』が主催する、プロレスラーの安田忠夫さんの引退興行のチケットを売りだした。

前売/当日
■特別リングサイド ¥15,000
■アリーナ(東西) ¥7,500
■安田忠夫応援シート ¥10,000
■スタンドA ¥5,000
■スタンドB ¥3,000
●チケット購入用アドレス  yasuda.intai0204@gmail.com

◎e+(イープラス) http://eplus.jp/battle/ (パソコン&携帯から)
◎チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード 817-813) http://t.pia.jp/ 〔ぴあ店頭販売、セブンイレブン、サンクス、サークルK各店〕
◎ローソンチケット 0570-084-003 Lコード 35108 http://l-tike.com/

少し前、エドワード・ファウラーというアメリカ人の書いた『山谷ブルース』という本があった。山谷で根無し草の生活をしている人間にインタビューした好著である。この本を読むと、人はちょっとしたきっかけで簡単に路上生活者になるのだと恐ろしくなる。
誰だって、人生を踏み外し、転落する可能性はある。
かつて安田さんは何千万円もの年収があった。ぼくが預金通帳を見せて貰った時、安田さんの通帳の残高は四円だった。安田さんは自殺未遂を起こしたこともある。藻掻きながら生きる様は、「今」の日本の一つの情景でもある。その生き様を是非、多くの人に見て貰いたいと思っている。
プロレスの興行としては少しチケットの値段は高い、らしい。しかし、彼の最後の試合なのだ。チケット代以上の試合になるはずである。

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FAX、emailにて失礼します。
来年、弊社(株)Son-God-Cool(そんごくう)では、2011年2月4日に安田忠夫引退記念興行(後楽園ホール)を主催することになりました。

安田忠夫さんとの出会いは、今年の七月のことです。
きっかけは、知人Iさんでした。安田さんは、彼の実家の養豚場で働いていましたが、そこを辞めてしまい、行くあてがなくなってしまったという話を聞きました。
その後、ぼくは仕事でブラジルに行く機会がありました。その時、知り合いの農場関係者に安田さんの話をしました。ブラジルの農場で、農業を手伝いながら、相撲を教えられないだろうかという軽い思いつきでした。
すると、「全く問題ないよ」と拍子抜けするほど簡単に答えが返ってきました。
帰国後、初めて安田さんと会いました。
彼は人見知りをするのか、最初話は弾みませんでした。そして、「自分はあと一年ぐらいで死にたい」ということを何度も口にしました。安田さんは、エアー焼き肉≠フ過去があります。彼の口から出る「死」という言葉は、非常に重く感じました。
ブラジルで相撲を教えるという話になると、次第に安田さんの言葉が増えて行きました。
自分は相撲が本当は好きだ。ただ、日本では自分の経験を伝える場がない。またあったとしても自分のイメージが悪いので、教わりたい人はいないだろう と寂しい顔でした。
その後、安田さんと何回か会っていくうちに、「日本以外の国で、相撲を教えてみたい」と前向きな言葉が出てくるようになりました。
ただ、日本を出て国外に行くには渡航費、当面の生活費などの資金が必要です。安田さんは、この時、所持金がほとんど零でした。これ以上借金もできません。
ぼく自身、ジェロム・レ・バンナ戦など、安田さんの戦いに見入った人間の一人です。あれだけの結果を残した人間がこのまま朽ちていくのは、惜しいと思います。そこで、安田さんの引退試合を企画して、渡航資金を捻出することにしました。

「借金王」と呼ばれた、安田さんが金銭的に緩いことは理解しています。そのため、この興行の売り上げから経費分を除いた残りを、当社で管理し、渡航費、そして月々必要な金額を安田さんに渡すという約束にしました。
行き先については、ブラジルのバイア州の農場を候補地の一つとして、幾つかの場所を検討しています。

二〇一一年二月四日、安田さんは、プロレスラーを引退して、新たな人生に踏み出します。四七歳、所持金ゼロの男が、人生をやり直す その生き様を見せることは、真の意味での「プロレス」だと思います。
安田忠夫、人生の第二章の始まりとなる、この興行を暖かく見守って、応援して頂ければ幸いです。
(12月あたま、マスコミ各社に流したプレスリリースに掲載したぼくの挨拶文)