週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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201010

2010年10月24日

日付では金曜日の夕方にプノンペンを出て、ホーチミンを経由して昨日、帰国。
プノンペンでは、一日中、ビデオカメラを抱えて街中を撮影していた。
カメラもそうだったように、最低限の使い方を覚えたら、とりあえず撮ってみるのがぼくのやり方。
デジカメではヒストグラムで確認していた、光の加減をつかめない。この辺りの習熟が必要だということが分かった。それ以外は特に問題なかった。
飛行機に乗るまで、撮った映像を編集してみた。なかなか面白い。文章や写真とはまた違った表現ができる。それもかなり簡単に。
ipadをかなり使ってみて分かったのは、文字だけの電子書籍には限界があること。映像を入れ込んだ電子書籍を作るべきなのだろう。

プノンペンにて。

2010年10月21日

バベットを出て、一号線を走る。道ばたには、白や赤の蓮の花が咲いているのが見える。腰まで使って魚を捕っている人、泥だらけの牛。田園風景が続く。
メコン川を越えて、さらに走ると首都プノンペンに到着。かなりの都会である。

メコン川を越えるとき、車を停めると物売りが次々と駈け寄ってきた。

フェリーにぎっしりと乗ったオートバイ。この国はオートバイが多い。さらに経済発展すればこれが車になるのだろうか。

2010年10月20日

ホーチミンの空港を出ると、タクシーはスクーターの波に飲み込まれた。一号線を西にひた走る。カンボジアとの国境を越えた頃、太陽は沈んでいた。
昨晩からカンボジアのバベットという街にいる。この街の唯一にして、最大の産業はカジノ。カンボジア人は賭けることができないので、国境を越えてくるベトナム人が顧客である。客層は若い。女性も多い。
ベトナムという勢いのある国にぶら下がって成長しようとするカンボジア。これも一つの国のあり方だ。
このカンボジア行きの詳細についてはまたの機会に。

買ったばかりのビデオカメラAG-HMC45で動画撮影したものを切り出した。いつもとちょっと雰囲気が違う。

2010年10月15日

今日、会社を登記申請した。会社名は『Son-God-Cool』、「そんごくう」と読む。映像、文章、音楽、写真 様々な活動をするために会社組織を立ち上げることにした。
今、勝新太郎さんの評伝を書き下ろしている。勝さんが勝プロダクションを立ち上げる頃と、今の状況は少し似ている。
当時、それまで隆盛を誇っていた映画産業が、テレビに押されて傾いていた。映画は、テレビのことを「電気紙芝居」と呼んで下に見ていた。確かに、初期のテレビのコンテンツは細部まで行き届いた映画とは比べものにはならなかった。
次第に、宣伝媒体としての価値を見いだした企業が、テレビ番組に金をつぎ込んだ。金があるところには才能が集まるものだ。テレビ番組の質は上がっていった。映画は成功体験にあぐらを掻いていた。老朽化した劇場を放置し、設備投資を怠った。
斜陽となってから、映画界は慌てた。
まず製作費を削った。そして、放送コードによりテレビが出来ない、暴力とエロに走った。そうした質の低い作品で、観客はさらに減った。

今のテレビや出版も似ている。経費削減で、二流のお笑いタレントが闊歩し、通販番組や、店のタイアップのような安易な番組ばかり。つまらない。つまらないから見る人が減る。
映画界が斜陽だったときは、若手に無茶ができる、チャンスが生まれた。学生運動が盛んで、若者が血気盛んで元気だったこともあるだろう。そこで日活ニューアクションのような、パンク的な面白い作品も生まれた。
ところが、今はその雰囲気もない。
ぼくの古巣の出版社が典型的な例だが、四十代以上の社員がだぶつき、管理職ばかりが多い。雑誌が減っているにもかかわらず、組合が強くて、人員整理できないので、若い社員を採れない。高い給与を貰いながら、理屈と不平ばかりで、腰の重い社員ばかりが残る。それで、面白い雑誌など作れるはずもない(少し前、若者雑誌が売れないと嘆く声が聞こえた。バブル時代を引きずり、安泰に給料を貰っている人間たちに、今の空気を肌で感じる雑誌を作れというのが無理だ)。
 
そんな中でもぼくたちは物を作って行かなくてはならない。昔に比べて、恵まれているとすれば、テクノロジーの進歩でかつて高額だった機材が比較的安くなっていることだ。面白い物がないならば、自分たちで作ればいい。
以前から、文章、写真に加えて、映像を撮ってみたいと思っていた。このSon-God-Coolは、そのためだ。