週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。

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200802

2008年2月24日

ツバルでは毎日、夜明け前から起きていた。泊まっていた宿に冷房設備はなく、天井で扇風機が回っているだけだった。僕の部屋は風の通りが良かったので熟睡できたが、下田画伯の部屋の扇風機は壊れており、さらになぜかノルウェー人が繋がった部屋に泊まっていたので、落ち着けなかったようだ (トイレと水だけのシャワーは共同。このノルウェー人はなぜか“大”の後に流さない…)。
南半球のツバルは蒸し暑く、太陽が上がりきると暑くて歩き回ることができない。必然的に夜明け前から起きることになったのだ。
日本とツバルの時差は三時間、それほどきつくないはずだが、そうした生活をしていたせいか、今回 は時差ぼけがひどい。夜はすぐに眠くなり、毎朝五時には目が覚めてしまう。それで仕事がはかどればいいのだが、頭が働かない……。 そんな中、来月発売の単行本の再校を戻さなくてはならなかった。今日、ようやくゲラを戻すことができた。
タイトルは 『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)となった。楽天イーグルスを中心とした、パシフィックリーグの球団を支える人間たちの話である。詳しくは、またの機会に 。

ツバル

ツバルの海は美しかった。週刊ポストのグラビア記事は3月10日発売になりそうだ。

2008年2月20日

前略

太平洋のポリネシアにある島国、ツバルの取材を終え、先程日本へ帰国しました。
このメールは日本に向かう飛行機の中で書いています。ツバルはもちろんですが、経由地のフィジーもインターネット接続環境が悪く、先週の木曜日の午後に受信したのを最後に、未だにメールを見ていません。メールを頂きながら、返事がなかった方にはお詫びします。

さて。
ツバルについては、行く前にはこんな風に思っていました。 地球温暖化による海面上昇で沈みゆく、悲劇の島。珊瑚礁の上に出来た、美しい海を持つ島で、自給自足の生活をしていた素朴な人々は、自分の国が失われることで途方に暮れている−−。
実際に行ってみるとずいぶんと印象が違いました。
確かに、人々は目が合うとにこやかに笑い挨拶をしてくれ、暖かく迎えてくれました。
ただ……。
とにかくゴミが多いのです。錆びた船が海岸にうち捨てられており、自動車、ブルドーザー、ヨット、コンテナ、電化製品、機内食のトレー、記念写真、生ゴミ、島のあちこちにありとあらゆるものが捨てられていました。
また、ブラジルの貧民街以下の粗末な家屋で生活している人がいる一方、国外からの援助で建てられた立派な建物が存在しました。まるで日本の地方都市のハコモノ行政でした。
質素に生活する人がいる一方、沈んでいく島でしぶとく、したたかに商売する人間もいました。同行した絵描きの下田昌克に、ヤシ酒を飲み泥酔状態で半ば無理矢理絵を描かせた後に、逮捕された地元の不良もいました(理由は不明。島では誰でも知るワルのようですが、太田カメラマンによると、雨の中を泣きながら連行されていったそうです)。
当たり前のことですが、純朴なだけでない、僕たちと同じ、邪な気持ちや欲も持ち合わし、間違いも犯す、血の通う人間が生きている島でした。
教育のある人間とそうでない人間、国家権力を利用できる人間とそうでない人間、裕福な人間と貧しい人々。今、世界が抱えている問題の縮図が、ツバルにはありました。
今回の取材は、「週刊ポスト」(小学館)のグラビア記事として近日中に掲載されます。是非、ご覧ください。
来月発売の学研新書については追って連絡を入れさせていただきます。
取り急ぎご報告まで。

ツバル

ツバル

2008年2月14日

今、僕たちが泊まっているホテルは空港の近くにある。インターネットが使えるという話だったが、部屋にLANが通っているわけではなく、パソコンのある“インターネット小屋”に行かなければならない。浅黒い肌をした若い男は、僕がパソコンを開いてセッティングすると、
「初めて無線LANが通じたよ」
と嬉しそうな顔をした。
フィジーでさえ、こうなのだ。ツバルではもっとひどいだろう。インターネットカフェはあるというが……どこまで使えるやら。このホテルのインターネット小屋の営業は朝八時から夜八時まで。来週ナンディに戻ってくるのは夜。このままだと、明朝ここを出てから帰国するまでメールの送受信ができない可能性もある。
かつて、南米大陸を放浪していた時、一週間に一度か二度は、電話局の長距離電話ボックスで電話線を抜いて、インターネットに繋いでいた。当時はパソコンは普及しておらず、電話線を抜くと何をやっているのかと怪しまれるので、電話局の人間から見えない電話ボックスで作業しなければならなかった。そんな十年前のことを思い出した。インターネットが整備されていない時代は不便だった。
不便だったからこその、良さもあった。
明日、ナンディからスバ、そしてツバルに向かう。

ナンディタウン

ナンディタウンの市場にて。この国のおばちゃんたちは、みんなパンチが効いている。

2008年2月13日

「Bula!」
街を歩くと、「ブラ」(こんにちは)と声を掛けられる。スペイン語の「hola!」と似ていて、僕には親しみやすい。
今朝、韓国を経由して、フィジーに到着した。今回の目的地はフィジーではなく、ツバル。ツバル行きの飛行機はフィジーからしか出ておらず、乗り換えのため、フィジーのナンディに二泊滞在しなければならなくなった。
今回も『週刊ポスト』の取材で、絵描きの下田昌克と写真の太田真三氏と一緒だ。
午後、街の中心地、ナンディタウンを歩いていると、大雨が降り始めた。今、この国は雨期なのだ。
フィジーは僕にとって初めて訪れる国だ。第一印象は…インド人が多い。ごつい顔をしたメラネシア人とインド人が混在している。
インド人が多いこともあって、街のレストランの主要メニューはカレー。昨年末に行ったインドに戻ってきたような感じだ。 メラネシア人は、女性の体つきも大きい。この国の人間と喧嘩をする気には到底なれない。

ナンディタウン

スコールが上がった後、夕暮れのナンディタウン。
窓硝子の一切ないバスが走っていた。あの大雨の時はどうしていたのだろうと、良く見ると、窓の上に青色のビニールシートが見えた。これが窓硝子の代わりとなるのだ。
「左に曲がります」と機械的な日本語が聞こえたと思ったら、日本製の大型トラックだった。多くの中古車が日本から輸入されている。こちらは左側通行なので日本車は使い勝手がいいのだ。

2008年2月13日

昨日まで、地獄だった。3月に発売される学研新書を書き下ろしていた。
数日間は、家から一歩も出ず、一日中原稿を書くことになった。新書の他、ハンドボールの原稿もあったので、合計すると一日40枚ぐらい書いた日もあったと思う。重なる時は重なるのだ、この商売は。
今日は、「スポーツコミニュケーションズ」で連載している「国境なきフットボール」の〆切の日。今回は、2000年のスペインのことを書いている。
当時はリコーのGR−1を使っていたので、ネガをスキャナーで取り込んだ。あの頃は出版社を辞めたばかりだった。最初は開放感があったが、旅を続けていくうちに、このまま食べていけるのかという不安が大きくなってきた。この時に撮った写真はそんな僕の気持ちが映りこんでいるように思える。

リスボン

ポルトガルにて。恐らくリスボン。
「郷愁」という名前の通り。ユーロ加盟前のポルトガルは寂れていて独特の雰囲気があった。