週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。

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200803

2008年3月30日

昼前に那覇に到着。東京は肌寒く、薄手のコートが丁度良かったが、飛行機を降りた瞬間、生ぬるい空気を感じた。長袖のシャツどころか、半袖でも十分なほど暖かい。
残念ながら、空は曇っていたが、この暖かさは魅力的だ。
昼過ぎから、田場裕也のトレーニングに同行。明日、東京に戻る。

田場裕也

2008年3月27日

今日は名古屋出張。大同特殊鋼の体育館でペク選手に話を聞いた。
彼は、精神力、技術はもちろんだが、欧州チャンピオンズリーグ出場などの、経験が豊富である。
そんな、彼の前では日本代表は穴だらけのチームであり、与しやすい相手であったようだ。彼は完全に日本の弱点を見切り、そこを狙っていた。彼の目には、日本代表は無策に見えていた。
彼は僕の持っていた疑問を、きちんと説明してくれた。ハンドボールという競技を深く理解しており、非常にクレバーな男だった。
今回の取材は、来月発売の 『Sportiva』 (スポルティーバ、集英社) に掲載される。詳しくはそちらを読んで欲しい。
少しだけ書いておくと−−。
彼が日本代表で力を認めていたのは、宮崎大輔、ただ一人。
昨年の豊田での予選の時、ペクはほとんど得点を決めることができなかった。日本が対策を練り、それが成功したのだと思っていたが、実際はペク自身の体調が良くなかったのだという。体調が戻った代々木での再試合では、彼が試合を決めた。それだけのことだった。

高木尚

大同特殊鋼の体育館にて。ゴールキーパーの高木が練習中。
練習を見ていると、チームの雰囲気は良く、まとまりがあることが伝わってきた。その中心には、ペクがいる。彼は天性のリーダーであるようだった。末松や富田たちが力をつけたのは、ペクという素晴らしい手本が身近にいるからだということが良く分かった。日本の選手や指導者、関係者は、素直になって、彼の経験、考え方をもっと吸収すべきだ。正直、格の違いを感じた−−。

2008年3月19日

全く知らなかった−−。
下川が引退することは聞いていたが、大同の荻田、そして湧永の渡辺、中山監督まで辞めるとは−−。
僕の不勉強であった面もあるだろう(中山監督の辞任はスポーツ紙に出ていたようである)。今日時点でも、協会の大会HPは仕方がないかもしれないが、大同と湧永のHPを見ても引退については何も書かれていなかった。
下川はもちろんだが、荻田や渡辺も、日本のハンドボール界に貢献してきた選手である。そして中山監督は、レギュラーシーズン首位に導いた実績ある指導者である。もう少しなんとかならなかったのか……。
僕は、先日上梓し『楽天が巨人に勝つ日』の中で、楽天の三木谷浩史(当時)オーナーのスタジアムに対する考えをこう書いている。

<ディズニーには人気キャラクターのミッキーマウスがいる。それに加えて、世界各地に、ディズニーランドを持っている。この箱を持っていることこそ、重要な点である。ディズニーが根強い人気を持ち収益を上げているのは、キャラクターに加えて劇場を持っているからだ、と。野球に例えれば、ミッキーマウスはプレーをする選手、ディズニーランドはスタジアムであるというのだ。>

スポーツビジネスをうまく運営していくには「箱」を持たなければならなにいというのが、僕の本の要諦である。そして、その前提条件として、主役である、“ミッキーマウス”=“プレーする選手たち”を大切にしなければならない。
鹿島アントラーズは昨年、本田選手のために引退試合を行った。本田選手はジーコに出場を頼んでおり、昨年僕がブラジルに行った時、二人が電話で話している場面を見た。ジーコは「行きたいが、カップ戦が始まるんだよ」と渋い顔をしていた。引退試合で流すビデオを回すのは僕が手伝った。
野球では最近、ロッテのジョニー黒木のために引退試合が行われた。功労者をきちんとねぎらうというは良き風習であると思う。そして後輩たちは自分たちも彼らのような選手になろうと努力する。
恐らくハンド界では何もしないと思うが、世界選手権にも出場している、下川はそうした扱いに値する選手であったと思う。
ハンドボールは、「箱」というインフラを持たず、土足厳禁で交通の不便な公立体育館で試合を行ってきた。そして、陽の当たらない中で日々努力し、日本のトップで戦ってきた選手に対して、適切な敬意を払ってきたとは思えない。
選手の側も、大切に扱われきたという意識がないから、引退後、競技に愛情を持てないことも多い。また、意識的か無意識かは分からないが、後進にも自分たちが受けていたのと、同じ扱いをする習慣があるように見える。まさに、 負のスパイラルである。マイナーである根は深いのだ。

2008年3月16日

恐らく、昨年から今年のハンドボール界の狂騒について、 以前から関わっている人間は少し冷ややかに見ていたと思う。
メディアは、一人の人間にフォーカスして、報道を盛り上げる傾向がある。ハンドボールの世界では、それが宮ア大輔だった。
大輔は、日本で最も能力の高いプレーヤーの一人であることは間違いない。
ただ−−。
何度も書くように、ここ数年のリーグでは、彼の高い潜在能力を生かし切っておらず、迷走している感じがしていた。
現在のハンドボール界の唯一無比の存在であるかというと、疑問符がつく。
彼は本来闘争本能が強い、野生児である。様々な意味で、 周囲に気を遣いすぎて、彼は窮屈にプレーをしているように見える。彼の能力はこんなものではない。
もちろん、メディアの手法は僕も理解しており、大輔に対しての取材を受け、自分でも原稿を書いた。その際、優れたプレーヤーは大輔だけではないと何度も話したのだが、なかなか取り上げられない。もどかしい思いが沈殿していた。
今日のハンドボールリーグ決勝は、湧永製薬と大同特殊鋼の試合だった。大輔のいる大崎電気は、前日の準決勝で大同に敗れていた。大輔を目当ての観客が減るのではないかと心配していたが杞憂だった。

両チームの選手は、僕と同じような、もどかしさを感じていたのかもしれない。自分の個性を主張し、好プレーを連発した。
僕は、湧永のハンドボールに好感を持っている。きちんと守り、選手たちが連携して戦っている感じが伝わってくる。例えるならば、オシム監督が率いていた時代のジェフのように、組織で良質なゲームを展開する。
この日、キーパーの坪根敏宏はスーパーセーブを連発した 。ポストの山口修は相変わらず要所を締めるプレーをしていた。古家雅之、東慶一、下川真良らの代表組も良かった (ゴール裏で写真を撮っていると、古家のシュートが腕に当たった…。ちゃんと枠に飛ばしてくれ!というのは冗談。下川はこの大会を最後に引退するというが……まだまだ出来るだろうと言いたい。彼の鋭い動きが見られなくなると思うと寂しい)。東長濱秀作は、雑なところもあるが 、意表のあるプレーで将来性を感じさせた。湧永は結果を残しながら、きちんと人を育てていることが分かった。
大同は、末松誠、武田亨、富田恭介、そしてペク。全ての動きがゴールに直結しているかのような、いつもの効率的なハンドボールだった。キーパーの高木尚は骨折をしていたというが、そんなことを全く感じさせないセーブでゴールを守った。
後半終了間際、東のシュートが決まり湧永が勝った−−と思ったが、試合終了の後でゴールは認められなかった。東がシュートを打つのが、一瞬遅れたのは、ペクがディフェンスに入っていたからだ。
彼は、絶対に得点をしなければならないところで点を取り 、取られていけないところではきちんと守る。ハンドボールの手本のようなプレーだった。
試合は、二度の延長でも決まらず、最後は7メートルスロー戦に持ち込まれた。 キーパーは湧永が坪根、大同が高木から田場裕也の同級生の荻田圭へと変わった。両方とも付き合いがあり、どちらにも勝たせたいという複雑な思いで見ていた。
結果は荻田が古家のシュートを止め、大同が優勝した。いい試合だった。

ハンドボールリーグ決勝

2008年3月13日

ipodクラッシックに全ての曲を入れて、原稿を書きながら、シャッフルして流している。音楽のデータは全部で28ギガもあるので、忘れていたような曲がたまにかかるのも楽しい。
先日、ビートルズの「When I'm Sixty-Four」が流れた。ポールの書いた有名な曲だ。僕が昔好きだった女の子の自宅に電話をすると、保留になった時にこの曲が流れた。映画『ガープの世界』のテーマ曲でもある(『ガープの世界』は映画よりもアーヴィングの原作の方がずっと面白い)。
歌詞はこんな感じだ。

When I get older losing my hair many years from now Will you still be sending me a valentine,Birthday greetings, bottle of wine?
If I'd been out til quarter to three would you lock the door? Will you still need me, will you still feed me, when I'm sixty-four?

64才になった時はまだまだ想像できないが、今日僕は40才になった。

新書が出たこともあり、少し前に自分で誕生日祝いを買った。
フェンダーUSAのテレキャスターである。
僕がエレキギターを買うのは、レスポールスペシャル以来なので18年ぶりだ。
純粋なフェンダー系のギターを使うのは久しぶりだ。高校生の時、最初にエレキギターを買ったのがフェンダージャパンのスクワイアのSST-314だった(故・成毛滋氏のラジオ番組を毎週録音してギターの練習をしていた。成毛氏の勧めていたギターが、彼の開発したSST-314だった。ナローネックで弾きやすいギターだった。ただ、番組のレベルは高く、僕はほとんど弾きこなすことができず毎週録音テープばかりが貯まっていった…)。
自分の出したい太い音はギブソン系だと思いこんでいたのだが、楽器店で試奏してみると自分好みの音だった。
何で今まで使わなかったのだろうと思うぐらい気に入っている。

フェンダーUSAのテレキャスター

2008年3月5日

昨日は大阪出張。「週刊プレイボーイ」でガンバ大阪のバレー選手の取材。彼はサッカーを本格的に始めたのが17才。五ヶ月後にはプロ契約をしていたという稀な選手である。今回の写真は梁川剛氏。辰吉丈一郎の写真集や、最近では亀田三兄弟の写真で有名だが、私生活を含めて、日本でもっともファンキーな写真家であると思う。昔から知っており、酒を飲んだしているのだが、一緒に仕事をするのは初めてである。僕にはそういう知り合いが多い。
今日は静岡を経由して東京に戻った。来週発売の新書の見本ができあがっていた。何冊目になっても本ができあがると嬉しい。この本を担当してくれた学研の藤林さんも10年以上の付き合いになるが、本格的に仕事をするのは初めてである。

楽天が巨人に勝つ日

2008年3月1日

新書の再校が終わった後、国内出張が続いていた。「ダンチュウ」の取材で、木曜日は一泊で鳥取と島根、金曜日は日帰りで軽井沢。「ダンチュウ」は料理雑誌ではあるが、もちろん僕が書くので、人物に寄ったものになる。珈琲を巡る話を書くのだが、島根の「カフェ・ロッソ」で飲んだエスプレッソは、恐らく人生で飲んだ中で最も美味しかった。店主の門脇さんが、バリスタ世界二位というのは頷けた。

そして、今日はハンドボールの実業団リーグの大崎電気と湧永製薬の試合のために駒沢体育館に出かけた。
本当はイランで行われた、アジア選手権に出かけるつもりでいた。ツバルから帰った翌日に出発すれば、大会の後半を見ることができると思ったのだ。しかし、ビザの取得に時間的な制約があり、ツバル出張を捨てるわけにはいかないので断念した。
結果は七位−−。
たぶん行っていれば、僕は激怒していたことだろう。

昨年、ブラジルでジーコに長く話を聞いた時に、僕は彼に聞きたいことがあった。
ジーコが率いていた時の日本代表は、何度も大切な試合で敗れそうになったことがあった。ところが、終了間際に得点が入り、勝利を拾った試合が多かった。
ある記者会見で「いつも終了間際で得点が入る。あなたは運があると思うか」という質問が出て、ジーコは「サッカーは運では勝てない」と激怒した。
ただ、僕はジーコには勝負運があると思う。そのことについてどう思っているのか、時間のある時に、そのことをきちんと聞いておきたいと思ったのだ。
「あなたは運があると思うんだ」
僕が尋ねると、予想通りジーコは真っ赤な顔をしてまくしたてた。
「サッカーは運なんかじゃ決まらない。運で決まるならば、監督も選手も占い師が決めればいい」
ただ、日本代表の試合では終了間際に得点が入ったことが多かったのは事実だ。そのことを僕が問うと、
「最後の最後まで、集中して戦ったからだよ。そのことを僕は選手に徹底していたんだ」
ジーコは、華麗なる技術を持ち世界的なプレーヤーであった。しかし、その華麗な技術から受ける印象とは違って、彼は勝利にこだわる執念の人間であった。だからこそ彼は人生の中で勝利を積み重ねてきた。監督になってからも同じで、ベンチの中から怒り、悲しみ、大声を上げていた。彼のそうした執念がチームに乗り移っていた。
ハンドボール日本代表はどうだろう。
「アジア7位」の成績を見て、これまで本当に不公平な笛があったのか、単純に力がなかっただけではないのか、そんな風に思われても仕方がない(韓国はきちんと結果を残した)。
誰も自分が応援するチームが負けることを見たいとは思わない。サッカーの日本代表は、Jリーグ開始以降、ワールドカップ、五輪といった主要大会のうち、出場できなかったのは、「ドーハの悲劇」の一回だけだ。不甲斐ない戦いもあったが、結果は残してきている。一方、ハンドはソウル五輪以降、世界選手権を除くと、ことごとく出場権を逃し続けている。
その差は「執念」と「勝ち癖」があるかないかではないかではないかと見ている。

駒沢体育館の試合は双方、粗の目立つ冷えた試合だった。終了間際に試合を決めた後の湧永の東の表情だけが印象に残った。それだけだった。
「中東の笛」の騒動で瞬間的にハンドボールは注目を浴びた。ただ、駒沢体育館には駆けつけた報道陣はわずかだった。いつもと顔見知りの人間ばかりであることに、少しほっとしたが、それが現実である。結果を出せない今のままではメジャーになれるわけがない。マイナーにはマイナーの理由があるのだ。

東俊介

大崎電気の東俊介選手