週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。

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200806

2008年6月28日

昨日、松原良香と青山を歩いていると、前から若い女の子が歯を磨きながら歩いてくるのが見えた。
僕たちは言葉を失い、顔を見合わせた。彼女はものすごい勢いでブラシを動かしながら、時折立ち止まると、建物を見上げたりしていた。場所を探しているようだった。列車の中で化粧をするとか、しないとか、そうした問題ではない。日本は変わった……。
さて。
来月再来月と、国外を含めた出張が決まりつつある。それまでに終えなければならない原稿があり、プチ・カン詰め状態に追い込まれている。原稿書きのストレスなのか、EPSONのGTX970というスキャナーをインターネットで注文してしまった。原稿の合間に、過去の写真を少し取り込んだ。Macの画面で昔の写真を見るとなかなか面白い。
来月の出張では、久しぶりに銀塩のリコーGRを使ってみようと思っている。

ポルト

2000年、スペインから国境を越えて、ポルトへ列車で入った時の写真。
列車の中で、黒人の男から話しかけられた。
「ポルトは初めてか」
僕が頷くと、男は続けた。
「俺も初めてだ。知り合いもいない」
男は、訛の強いポルトガル語を話した。アフリカ出身で、ポルトへ仕事を探しにきたのだという。
本当に知り合いがいないのかともう一度尋ねた。なぜならば、男の荷物は少なく、色あせたボストンバック一つだったからだ。
「誰もいない。ここにはそんな男たちが沢山やってくるんだ」
ポルトの駅は、青色のタイル、アズレージョが壁に張られた古い建物だった。駅の外には黒人の男たちが暗い顔をして立っていた。公衆電話ボックスは、ガラスがたたき壊されていた。ポルトはそんな陰のある街だった。

2008年6月16日

先週書いたように、先週の早稲田大学のスポーツジャーナリズム講義の後半に、東俊介選手と猪妻正活選手に登場してもらい、“模擬記者会見”を行った。
講習会等で話慣れている東俊介選手はともかく、心配していたのは、猪妻選手だった。
初めて会った時、彼は頭を下げるだけで、ほとんど話をしなかった。最近は、メディアにも多少取り上げられるようになったが、まだ取材慣れしているとはいえない。今回も、彼の貴重な体験、考えを十分に説明できたとはいえなかった。
ただ、言葉を探しながら真摯な態度で学生たちに向き合った姿は好感が持てた。彼のブログにも、授業を受けた学生が早速書き込んでいたという連絡をもらった。確かに、彼の態度には、言葉以上に伝わるものがあった。
ここ数年、彼らの所属する大崎電気は、選手の能力に見合った成績を残しているとはいえない。今年から主将になった猪妻選手は、言葉を尽くして、チームをまとめなければならない。大崎はこれまで多くの部分を中川善雄・前主将に頼ってきた。今後は猪妻選手たちが引っ張っていかなければならない。今季の彼に期待しよう。

さて、さて。 iMacを授業の資料作りにも使い、だいぶ慣れてきた。快適で使いやすい。
これまで古く小さなモニターで写真を見ていたのだが、写真が綺麗に映る。
過去の写真を見てみて自分でいいと思うのは、銀塩カメラのものだ。全面的に戻すことはないが、新しいスキャナーを買って、一部銀塩カメラで撮ろうかと思いつつある。

ツバル

只今、ツバルのフォトギャラリーを作成中。これはフォトギャラリーからこぼれた写真。
雨が降った後の、フナフチの空港。近日公開予定なので、乞うご期待。

2008年6月10日

ここ数日、新しいiMacと格闘している。
友人が組み立てたデスクトップパソコンを使っていたのだが、半年以上前から異常にファンが回るようになっていた。数年前、スカイプを使ってフランスにいた田場裕也と話しをしていた時、きなくさい匂いがしたと思ったら、爆発音がして電源が落ちた。また同じことが起こると困ると思い、新しいパソコンを買うことにした。
ところがWindowsマシンには、気に入るものがなかった。WindowsVistaの評判も悪い。思いきってMacに切り替えることにした。95年までは、モノクロのパワーブックを使っていたので、久しぶりのMacである。
Windowsとは勝手が違い、また周辺機器で使えないものがあったりと厄介もあるが、触っていると遊び心がある。
片付けなければならない仕事が山積みになっているので、Macをいじってばかりはいられないのだが…。

今週金曜日も先週に引き続き、早稲田大学でスポーツジャーナリズムの講義をする。生徒全員の書いたレポートを読むのは大変だが、才能を感じさせる記事を書く学生もおり、楽しみもある。
男性週刊誌が最も売れている時代に、僕は周りから育ててもらった。当時の編集部は、資金的に余裕があり、才能のある人と会う機会があった。僕は給料をもらいながら書き手となる訓練を受け、後輩にほとんど伝えないまま辞めてしまった。出版社を退社した99年は、今から考えると、「週刊誌の終わりの始まり」だった。
僕が大学の教壇に立つのは、その罪滅ぼしでもある。

今週の講義後半には、大崎電気の東俊介選手と猪妻正活選手に登場してもらい、模擬インタビューを行うことになっている。どんな風になるか、僕も楽しみである。

ポルトガル

ポルトガル

データの移行をしていると、ついつい昔の写真を見てしまう。
これは、2000年にポルトガルを旅した時のものだ。
“チュトム”こと、岸本勉カメラマンのリクエストに応えて、GRで撮った写真。
書くのが遅れたが、隠れた“きょうだい”サイトである リベラルテ でも写真を公開している。

2008年6月2日

東京は今日から梅雨入りだという。雨の日がこれから続くと思うと憂鬱な気分になる。

正直なところあまり気が進まない。ただ、ハンドボールの世界最終予選について書かなければならないだろう。
今回の三試合のうち、一番大切だったのは最終戦のロシアとの試合だった。
4チームのうち、2チームが勝ち上がることになっていた。ホーム、なおかつ力のあるクロアチアに 勝つことは難しい。残り三つの国は、どうやって「二つ」に勝つか策を練っていたはずだ。
ロシアは初戦でアルジェリアを大差で叩きつぶした。この敗戦で、アルジェリアの大会は終わった。
2試合目、日本との試合は冷えたものだった。日本は勝ったが、その重要性は低かった。
日本の真価が問われたのは、三試合目のロシアとの試合だ。
国際試合というのは、国と国のプライドを掛けて戦う。力の劣るチームも必死で食い下がり、なかなか重苦しい試合となるものだ。
ところが……。

ご存じの通り、結果は31対44。国際試合で40点以上取られるのは稀だ。完全な力負けだった。光るプレーをした選手もいなくはなかったが、あれだけの点差の中では、きちんとした評価を与えることはできないだろう。
今回、クロアチアとロシアという強豪チームと同じ組に入ったことは不運であった。ただ、他の組の試合結果を見ると「40点」も取られたチームはない。10点以上点差が離れる試合も数少ない。ところが日本は、2試合で10点差をつけられて負けている。
世界のスポーツは、国境の壁がどんどん低くなっている。優秀な選手は、高い水準のリーグに移籍し、経験を積んでいる。その結果として、国同士の力は拮抗する方向に進んでいる。
その中に日本は入っていない。
日本のぬるま湯のリーグで戦う選手や指導者と世界の距離はどんどん遠くなっている。世界最終予選のどこの組に入ったとしても、日本は勝ち抜くことはできなかっただろう。
以前からわかっていたことだが、日本国内のリーグにいても、世界とは戦えない。日常的に厳しいプレッシャーの中で揉まれ、選手個人が能力を上げないと、五輪には永久には出られない。その傾向は加速している。
「中東の笛」がらみで、メディアに露出するのも悪くはなかった。ただ、結果が出せなければ、「メジャー化」などありえない。弱い競技は誰も相手にしたくない。もう浮かれた時間は終わりだ−−。
世界との差を肌で感じた選手たちが、行動を起こすことができるか。周りの人間がそれをサポートできるか。
日本のハンドボール界のありかた、そのものが問われている。ここで舵取りを間違えば、競技の存続にも関わることになる。